イメージスキーマとは、身体の感覚や動作に基づく認知パターンのことを指す。
本記事では、その中でも「上下スキーマ」に焦点を当て、日常の身体感覚が広告コピーやブランドメッセージの体験価値としてどのように転写されるかを整理する。
生活家電からハイブランドまでの事例を通じ、コピーワークやプレゼンにすぐ応用できるポイントを示す。
1.はじめに
人は、抽象的な概念を理解するときにも、無意識のうちに身体感覚を手がかりにしている。
認知言語学ではこの基盤的な感覚の枠組みをイメージスキーマと呼び、日常の思考やコミュニケーションの背後で働く「見えない設計図」と位置づける。
イメージスキーマには「上下(UP–DOWN)」「前後(FRONT–BACK)」「容器(CONTAINER)」など数多くの種類があり、それぞれが私たちの思考・言語表現・広告コピーにまで深く浸透している。
その全体像については、まずこちらの記事を参照いただきたい。
40種類以上ものスキーマを解説し、その構造や特徴、説得力を高めるメカニズムまでを詳しく整理している。

本稿で焦点を当てるのは、最も直感的かつ汎用的なスキーマの一つである「上下(UP–DOWN)」である。
重力という逃れられない身体経験に基づき、「上=努力・成功」「下=喪失・失敗」といった意味づけが文化や言語に広く共有されている。
以降では、この上下スキーマの基本的な構造から比喩的な拡張、さらに広告コピーやブランディングへの応用可能性までを順を追って掘り下げていく。
2.上下の身体感覚から意味的拡張へ
本章では、上下スキーマがどのように「身体経験から抽象的な意味へ」と拡張されていったのかをたどる。
まず基本的なプロフィールを確認し、そのうえで比喩的拡張や具体的な言語表現、さらにスキーマがどのように「身についたか」という形成過程を整理していく。
2-1. 上下スキーマの基本プロフィール
以下は、『イメージスキーマの種類 身体性認知との関係とは?|認知言語学概論』の記事で紹介された上下スキーマのプロフィールを再掲したものである。
- 比喩的拡張の例
- 数量や価値
- 「物価が上がる/下がる」「成績が落ちる」
- 感情・状態
- 「気分が上がる」「落ち込む」「ハイテンション」
- 社会的序列
- 「上司」「下っ端」「見下す」
- 数量や価値
- 熟語・慣用表現
- 上昇/下落/高評価/低評価/気分が上がる/意気消沈
重力に抗って立ち、従って倒れるという繰り返しの経験を通じて、「上=努力・上昇」「下=喪失・下降」という感覚を獲得。
数量や感情、社会的序列の理解へと拡張された。
ここからは、プロフィールに示された要素を手がかりに、上下スキーマがどのように意味を広げ、私たちの認知や表現を形づくっているのかを具体的に見ていこう。
2-2. 重力に根ざす身体的基盤
上下という感覚は、重力という普遍的な物理法則のもとで形成される。
人は立ち上がり、重力に抗って歩き、そして疲れれば倒れる──この繰り返される身体経験が、〈上〉には努力・向上・希望・成長・覚醒・達成といった前進や高揚の意味を、〈下〉には喪失・停滞・絶望・退化・沈滞・失敗といった後退や困難の意味を自然に結びつけていく。
こうした身体的基盤こそが、数量・感情・序列といった抽象的な領域へと意味を転写し、やがて文化的価値観にも深く関わる概念構造の出発点となる。
このような身体感覚が、私たちの言葉や思考にどのように浸透しているのか。
次節では、上下スキーマが広げる意味領域の具体例をたどっていく。
2-3. 身体経験から広がる比喩的意味領域
上下スキーマは、重力に根ざした身体的経験を出発点として、努力・希望・達成といった〈上〉の意味、喪失・停滞・失敗といった〈下〉の意味を直感的に結びつけてきた。
このような身体感覚に基づく意味づけは、言語表現や文化的慣習を通じて、数量・感情・序列など、より抽象的な領域へと拡張されていく。
ここでは、その比喩的拡張の具体例を整理し、私たちの認知やコミュニケーションにどのような影響を与えているかを見ていこう。
数量・価値の表現
上下スキーマは、物理的な上下感覚を「量」や「価値」の理解に転写する。
- 「物価が上がる/下がる」
- 「株価が上昇/下落する」
- 「偏差値が上がる/成績が落ちる」
このように、数値の増減や価値の上下を直感的に理解させる表現が可能になる。
感情・心理の表現
上下スキーマは、感情の変化や心理状態の理解にも応用される。
- 「気分が上がる/落ち込む」
- 「ハイテンション」「意気消沈」
- 「テンションが上がる/下がる」
身体感覚の上下運動をメタファーとして用いることで、抽象的な感情も直感的に伝わる。
社会的序列・評価
上下スキーマは、序列や評価の理解にも深く関与する。
- 「上司」「下っ端」「部下」
- 「高評価」「低評価」「上位/下位」
- 「見上げる/見下す」
立つ・座る・上を見る・下を見るといった身体経験が、序列や地位を理解する際の認知フレームとして機能している。
ここまで見てきたように、数量・感情・序列といった領域における上下表現は、重力に基づく身体感覚を起点に、抽象的な意味を直感的に伝える仕組みとして機能している。
上下スキーマは日常言語に豊富な語彙ストックを持ち、「上昇/下落」「気分が上がる/落ち込む」「高評価/低評価」などの慣用句として積み重ねられてきた。
こうした語彙体系は、広告コピーやブランドメッセージの設計においても応用可能である。
たとえば「上昇=成功」「下落=損失」といった直感を活かすことで、抽象的な価値をより明確に、瞬時に伝えることができる。
つまり、こうした語彙は、意味を伝えるだけでなく、身体に染み込むようにして記憶されるメッセージとなる。
2-4. いかに“身”についたか?(スキーマの形成)
上下スキーマが抽象的な意味領域に広がっていく過程には、言語以前の身体経験が深く関わっている。
人は言葉を獲得するよりも先に、立ち上がる・持ち上げる・落ちる・倒れるといった重力との関わりを、日々の運動や感覚を通じて“身”をもって体験する。
乳幼児は、まだ言葉を知らない段階から、〈上〉への動きに達成や喜びを、〈下〉への動きに失敗や不快を結びつけるようになる。
たとえば、立ち上がることは自立の第一歩であり、転ぶことは制約や挫折の象徴となる。
こうした身体的経験の積み重ねが、やがて言語表現や認知構造の土台となり、抽象的な意味の理解へとつながっていく。
つまり、上下スキーマは単なる言語的比喩ではなく、言語獲得以前の身体的記憶に根ざした“経験のかたち”である。
このような経験的基盤があるからこそ、「気分が上がる」「成績が落ちる」「見上げる存在」といった表現が、私たちにとって直感的に理解可能なものとなるのである。
2-5. 上下スキーマがもたらす説得力の根源
上下スキーマの分析を通じて見えてきたのは、言葉が単なる記号ではなく、身体の奥深くに刻まれた感覚に根ざしているという事実である。
Evans & Green(2006)が指摘するように、人間の認知は空間・力・移動・包含・均衡といった40を超える基本的なイメージスキーマに支えられており、それが私たちの「わかる」「納得する」「動かされる」といった反応を生む仕組みになっている。
たとえば会議やプレゼンでよく耳にする「上を目指す」「下支えする」「底上げする」といった表現は、上下スキーマに基づいている。
説明を尽くさなくとも聞き手にリアルな行動感覚や感情を喚起し、記憶にも残りやすいのはこのためである。
だからこそ、ビジネスコミュニケーションにおいてイメージスキーマは強力である。
論理を超えて相手の身体感覚に響くことで、会議の場での説得力や広告コピーの浸透力を高めるからだ。
くわしくは「イメージスキーマの種類 身体性認知との関係とは? |認知言語学概論」の第7章「7.イメージスキーマが説得を強めるメカニズム」をご覧いただきたい。
次章では、この理論を実際の広告コピーにどう応用できるのかを具体的に探っていく。
3.広告コピー・ブランディングへの応用——上下スキーマで見る体験価値
上下スキーマは、日常の身体感覚や空間認知を抽象化したもので、「上=向上・高揚」「下=解消・安心」といった直感的理解を広告コピーに応用すると、消費者の体験価値を効果的に伝えられる。
本章では、ジャンルごとにコピー例を整理し、なぜ上下スキーマとして成立するかを解説していく。
3-1. 生活家電・電気製品
上昇=性能向上・効率改善
- 「洗浄力、ワンランク上へ」 → 洗濯機・食洗機
- 解説:洗浄力の向上を上昇の動作で可視化。身体的な「上へ向かう」感覚が、性能向上の理解を直感化している。
- 「音質も、空間も、上質に」 → オーディオ・スピーカー
- 解説:音の広がりや質感を上昇として表現。視覚・聴覚的体験を心理的高揚に結び付けている。
下降=雑音軽減・静寂
- 「雑音を下げて、静かな時間を」 → ノイズキャンセリング機器
- 解説:音量の上下という物理現象を直感的に利用。下降動作で安心・静寂を体験的に表現。
- 「低音が響くほど、心は軽やか」 → 重低音オーディオ機器
- 解説:低音の物理的「低さ」と心理的な軽やかさを逆説的に結び付け、身体感覚としての上下スキーマを活かしている。
3-2. 健康・医療・ウェルネス
上昇=元気・改善
- 「気分も、体調も上向きに」 → 総合健康サプリ
- 解説:体調や気分の向上を「上向き」という身体動作で直感化。日常体験に自然に結びつく表現。
- 「沈むほど、浮かぶ朝」 → 低反発マットレス
- 解説:身体の沈み(下降)と精神的浮上(上昇)の対比を利用し、睡眠による回復感を上下スキーマで表現。
- 「落ち込みを、立ち上がりの糧に」 → メンタルコーチング
- 解説:ネガティブ体験を価値に変換する「下降→上昇」の心理的往復。上下スキーマだけでなく、経験価値の転換を含む複合的表現。
下降=リスク軽減・解消
- 「血糖値の上昇を抑える、新習慣」 → 食事改善・サプリ
- 解説:健康リスクを「下降」動作で直感化。身体的上下の感覚を利用することで、安心感を体験的に提示。
- 「体重と体脂肪、Wで落とす新アプローチ」→ダイエットプログラム
- 解説:「落とす」は下降の典型的な動詞。2つの指標が同時に「減少」することを「W」で強調し、効率の良さをアピール。
3-3. 美容・パーソナルケア
上昇=美しさ・自信向上
- 「透明感が上がる肌へ」 → 美白化粧品
- 解説:肌の質感の向上を上昇の身体感覚で表現。視覚・触覚的な向上感が直感的に伝わる。
- 「年齢に負けない、上向きのハリ感」 → エイジングケア
- 解説:肌のハリを上昇動作で表現し、年齢対策のポジティブ効果を体感的に伝える。
下降=悩み・不快感の軽減
- 「乾燥の悩み、静かに沈める一滴」 → 保湿美容液
- 解説:化粧品の“一滴”で乾燥の不快感を沈めるという詩的表現。下降動作が落ち着き・鎮静を伝える。
- 「肌負担を軽やかに下げる」 → 低刺激化粧品
- 解説:肌への負荷を下げる=下降で不快感の軽減を表現。
- 「小じわを、目立たないレベルまで下げる」 → シワ改善美容液
解説:目に見える老化サインを物理的な下降で表現。直感的理解が容易。
3-4. 教育・学習サービス
上昇=成長・視野拡張
- 「視点が、ぐんと高くなる授業」 → 批判的思考・リベラルアーツ
- 解説:抽象的な視点を身体的上昇で表現。大局的理解が直感的に伝わる。
- 「弱点を、強みに押し上げる」 → 弱点克服型教材
- 解説:能力向上を上昇動作で表現。心理的成長を身体的イメージに変換。
下降=本質理解・安心
- 「基礎の奥深くまで掘り下げる、本物の理解へ」→ 理数系専門講座・探究学習
- 解説:表面上の知識ではなく、基礎原理という「深部(地下)」への下降を肯定的に表現。本質的な学びの深さと確かさを暗示。
- 「“わからない”の底から、理解を積み上げる」 → 教育アプリ
- 解説:理解までの過程を下降→上昇の循環で可視化。学習の段階的成長を身体感覚で表現。
3-5. 金融・資産形成サービス
上昇=資産増加・未来準備
- 「未来の安心を、少しずつ積み上げる」 → 積立投資
- 解説:資産の増加を上昇動作で表現。積み上げるという物理的イメージが、心理的安心と直結。
下降=リスク軽減・負担減
- 「リスクを分散して、人生の揺れを小さく」 → 投資信託
- 解説:人生の変動を「揺れ(振幅)」という物理現象として捉え、振れ幅を下降させることで心理的安心を伝達。上下スキーマを通じて、変動=不安、下降=安定という体験価値を直感的に理解させる好例。
3-6. 自動車・移動サービス
上昇=高揚感・快適性能
- 「加速感で気分を押し上げる」 → スポーツカー
- 解説:加速による心理的高揚を上昇として表現。身体感覚と結び付け、ドライブ体験の楽しさを直感化。
下降=安心・休息
- 「快適な乗り心地で疲れを沈める」 → 高級車
- 解説:身体的下降=安心感。乗り心地による疲労軽減を上下スキーマで体験的に表現。
3-7. 旅行・アウトドア
上昇=非日常・達成感
- 「高地で視界も気分も上がる」 → 高原リゾート
- 解説:高所体験による身体的上昇が心理的高揚と結び付き、非日常体験を直感的に表現。
下降=解放感・リラックス
- 「心の緊張を、湯けむりに沈める」 → 温泉旅館
- 解説:心身の緊張を下降で表現し、リラックス感を身体感覚に基づいて直感化。
3-8. ハイブランド・パーソナルアイテム
上昇=特別感・価値向上
- 「身につけた瞬間、存在感が上がる」 → ハイブランドアクセサリー
- 解説:装着による心理的高揚を上昇動作で表現。上下スキーマとの結び付きが自然。
下降=余計な負荷の軽減
- 「余計な荷物を下ろし、軽やかに出かける」 → ミニマリスト家具・小物
- 解説:物理的・心理的負荷を下降させることで、軽やかさと解放感を体験的に伝達。
3-9. 上下スキーマを活用した広告表現の傾向と特性
本章で取り上げた広告コピーの事例から、上下スキーマの特徴が明確になった。
上昇は「性能向上」「美しさの強調」「学習の成長」「資産の積み上げ」「高揚感や達成感」など、ポジティブな伸長を象徴する。
下降は単なる「喪失・低下」ではなく、「雑音の減少」「リスクの軽減」「悩みや疲れの解消」「緊張からの解放」といった肯定的な体験価値への転換を示す。
コピー表現には「上げる/下げる/沈める/積み上げる」といった身体動作語が多用され、直感的に理解できるメッセージが形成されている。
さらに「下降から上昇へ」といった往復的表現により、体験の変化や価値の転換が力強く伝わる。
上下スキーマは、向上だけでなく「軽くなる」「安心できる」といった下降の肯定的意味も含め、消費者の心に働きかける。
その汎用性の高さが、広告コピーやブランドメッセージ設計における強力なフレームワークであることを示している。
3-10. 広告コピーへの応用のポイント
上下スキーマを広告コピーに活かす際の基本的な指針とチェックリストは以下の通りである。
上下スキーマ応用のポイント
- 上=向上・成長・ポジティブ感情
- 「上げる」「高める」「積み上げる」は、性能や成果を強調したいときに有効。
- 例:「売上を伸ばす」「信頼を積み上げる」
- 「上げる」「高める」「積み上げる」は、性能や成果を強調したいときに有効。
- 下=軽減・安心・解放
- 「下げる」「沈める」「おろす」は、リスク低減や不安解消の文脈で効果的。
- 例:「不安を取り除く」「重荷を下ろす」
- 「下げる」「沈める」「おろす」は、リスク低減や不安解消の文脈で効果的。
- 下降から上昇への転換でダイナミズムを表現
- 「悩みを下げて、喜びを上げる」のように、変化のストーリーを伝えると説得力が増す。
- 身体動作語を意識して使う
- 「持ち上げる」「支える」「沈める」など、身体感覚に根ざした表現は説明を超えて直感に響く。
- 対象に応じて上/下の意味をチューニングする
- 金融なら「積み上げ=資産形成」、美容なら「上げる=リフトアップ」、教育なら「伸びる=成長」と、分野ごとに自然に接続させる。
以下に、広告コピー作成の際に手元でさっと使える簡易チェックリストを示す。
このチェックリストは、上昇でポジティブを強調すべきか、下降で安心感を伝えるべきかといった判断を手早く確認できる実践ガイドである。
新しいコピーを考えるときや、既存文言の効果を見直すときに特に有効である。
- このメッセージは「上げる」系で強調すべきか、「下げる」系で安心を与えるべきか?
- 「下げる」をネガティブで終わらせず、ポジティブな意味転換にできているか?
- 上昇・下降の往復ストーリーを組み込めば、より印象が強まらないか?
- 動作や身体感覚に基づく言葉を選んでいるか?(例:積む・下ろす・跳ね上がる)
- 業種や商品特性に即した「上/下のメタファー」を選んでいるか?
4.総括──上下スキーマが広告コピーにもたらす価値
本章で扱った事例群から、上下スキーマが広告コピーに与える効果は明瞭である。
上方向は、成長・高揚・向上・成功などのポジティブな伸長を直感的に伝え、視覚や身体感覚を通じて消費者の期待や満足感を喚起する。
一方、下降も単なる低下や損失を示すのではなく、「軽減・解放・安心」といった肯定的体験価値に転換されることで、安心感やリスク軽減を直感的に提示できる。
コピー表現では、身体動作語(上げる/下げる/沈める/積み上げる)を中心に用いることで、抽象的概念も具体的な感覚として理解されやすくなる。
さらに、下降から上昇へのストーリーを取り入れると、体験の変化や価値の転換を力強く印象づけられる。
各ジャンルの事例を通じて示されたように、上下スキーマは商品特性や業種に応じて柔軟にチューニング可能であり、性能向上や美しさ、学習成長、資産形成、達成感など、幅広い価値を直感的に伝える汎用性の高いフレームワークである。
広告やブランドメッセージにおいて、上下スキーマを意識することは、消費者の身体感覚と結びついた「理解しやすく、記憶に残る表現」をつくる鍵となる。