「ありふれた男女/レギュラーガイ・ギャル(The Regular Guy/Gal)」──それは、どこにでもいる“普通の人”の顔をしたアーキタイプ。
しかし、いまこの元型が、ブランドにとって新たな可能性の核となっているのをご存じだろうか。
派手さも尖りもない。
けれど、その背後には「つながっていたい」「孤立したくない」という、誰もが抱える深層的な欲求がある。
「目立ちたくはないけど、ちゃんと大事にされたい」。
この静かな願いに応えることができるブランドは、強く、長く支持される。
本記事では、そんな「ありふれた男女」アーキタイプの構造を紐解きながら、どのようにブランドに応用できるのかを掘り下げていく。
理論にとどまらず、感情、日常、物語、そして代表的なブランド事例までを網羅し、現代における“共感されるブランド”のつくり方を明らかにする。
変化よりも共感、主張よりも信頼を重んじるブランドづくりのヒントが、ここにある。
はじめに
ブランドアーキタイプとは、心理学者カール・ユングの理論を基盤に、人間の普遍的な性格モデルをブランドのパーソナリティに転写するためのフレームである。
ブランドがこの枠組みを活用することで、物語性と象徴性が深まり、機能訴求だけでは到達しえない感情的な共鳴や差異化を生むことが可能となる。
本稿で扱う「ありふれた男女/レギュラーガイ・ギャル(The Regular Guy/Gal)」は、誰かとつながりたい、仲間でありたいという人間の根源的な欲求に応えるアーキタイプである。
このアーキタイプは、「帰属と楽しみ(Belonging / Enjoyment)」という動機に根ざしており、日常の中にある共感、親しみ、信頼といった感情をブランドにもたらす。

現代社会において、このアーキタイプが果たす役割は決して小さくない。
人々が恐れるのは、目立たないことではなく、拒絶されること。
だからこそ「ありふれた男女」は、気取らず、自然体で、そこにいてくれる存在として求められている。
目指すのはカリスマではなく、親しみやすさ。
孤立を防ぎ、心地よい共存を促すことで、ブランドは消費者に「自分の居場所がここにある」と感じさせることができる。
大げさな演出よりも、信頼できる語り口を。
押しつけがましさではなく、共感できる態度を。
そうした姿勢が、いま再び価値を持ち始めている。
本稿では、この「ありふれた男女」アーキタイプの構造と意味を読み解きながら、ブランドがどのようにこの共感性を活かし、日常の中で人々の“仲間”として存在できるかを、理論と実例を通じて考察していく。
なお、ブランドアーキタイプの全体像については、別記事にて人間の4つの根源的欲求や12のアーキタイプの体系的な解説を行っている。

第1章 「ありふれた男女」アーキタイプの基本理解
1. 「ありふれた男女」とは何か──共感と現実感の体現者
「ありふれた男女/レギュラーガイ・ギャル(The Regular Guy/Gal)」は、ブランドアーキタイプ12分類の中でも「帰属と楽しみ(Belonging / Enjoyment)」を動機とするアーキタイプである。
このタイプが象徴するのは、「仲間として受け入れられたい」「集団の中で自然に存在したい」という、人間にとって極めて根本的な社会的欲求だ。
求めるのは特別扱いや優越感ではなく、“普通であること”の安心感と、“ここにいていい”という確かさ。

マーガレット・マークとキャロル・S・ピアソンによる共著『The Hero and the Outlaw(邦訳:ブランド・アーキタイプ戦略)』では、「ありふれた男女」アーキタイプの特性が以下のように整理されている:
- 中心的欲求:人とのつながり
- 目標:帰属する、溶け込む
- 恐怖:目立つ、気取っているように見られる、その結果として追放または拒絶される
- 戦略:一般的で常識的な美徳や庶民感覚を養う、集団に溶け込む
- 罠:表面的なつながりを得るために、自分を捨ててまで集団に溶け込もうとする
- ギフト:現実主義、共感、自然体
- 代表的なブランド:IKEA、Home Depot、eBay、Jim Beam、Wrangler Jeans
※代表的なブランドは、マーガレット・マークとキャロル・S・ピアソンの原典(2001年)に限定せず、複数の近年のブランドアーキタイプ分析サイトを参考に、今日的な文脈で再構成している。
中心的欲求:人とのつながり
「ありふれた男女」アーキタイプの出発点は、“自分は一人ではない”という感覚を得たいという欲求にある。
それは目立ちたいという虚栄ではなく、孤立したくないという切実な感情であり、極めて社会的な本能でもある。
目標:帰属する、溶け込む
特定のコミュニティに自然に受け入れられ、「この場所の一部である」と感じられることが最大の目標となる。

ここで重要なのは、リーダーになろうとはしていない点だ。
目立たず、空気を乱さず、自然体でありながら信頼されている状態こそが理想なのである。
恐怖:目立つことへの恐れ
このアーキタイプがもっとも避けたいのは、「自分だけが浮いてしまう」ことだ。
周囲とズレることを本能的に恐れるのは、単なる気弱さではなく、関係性に対する深い敏感さの表れでもある。
戦略:庶民感覚でなじむ
ありふれた男女ブランドは、突出した価値や革新性よりも、「わかる」「ちょうどいい」と思われる感覚を重視する。

商品やメッセージが、消費者の日常と地続きであることが最優先となる。
そこには、気取らず、実直で、現実的な姿勢がある。
罠:つながりに合わせすぎる
集団に溶け込むことを最優先するあまり、自分自身の価値観や個性を抑え込んでしまう危険性もある。
ありふれた男女ブランドが気をつけるべきなのは、「誰にでもフィットする」ことを目指しすぎて、逆に何も語らないブランドになってしまうことだ。
ギフト:現実主義、共感、自然体
このアーキタイプがもたらす最大の価値は、「私たちと同じ」という共感性である。
奇をてらわず、正直で、過剰ではない態度が、かえって信頼感を生む。
特に、生活に根ざしたカテゴリー——家庭用品、日用品、衣類、軽飲食など——において、ありふれた男女ブランドは抜群の親和性を持つ。


結果として、そのブランドは「日常の一部」となり、長期的な関係性を築くことができる。
代表的なありふれた男女ブランド
「ありふれた男女」アーキタイプを体現するブランドは、「共感」「庶民感覚」「自然体」を軸に、ユーザーに“ここにいていい”という安心感を提供している。
以下はその代表例である(詳しくは第4章を参照):
- IKEA
- 北欧発の家具ブランド。「誰でも使える」設計思想と、日常に溶け込む価格とデザインで、世界中の家庭に親しまれている。
- Home Depot
- 米国のホームセンター大手。DIY初心者でも挑戦できる導線設計と、暮らしを自分で整えるという意識を育むサポート姿勢が特徴。
- eBay
- 庶民的な個人間売買の場として、価値のある“ふつう”を流通させるマーケットプレイスを築いてきた。
- Jim Beam
- 米国の大衆的ウイスキーブランド。特別感よりも「変わらない日常」の味わいに親しみが集まる。
- Wrangler Jeans
- ワークウェアを原点とする実用的なジーンズブランド。飾らず頑丈な作りが、リアルな日常の相棒として長年愛されている。
いずれのブランドも、“誰もが使える”“誰でも馴染める”という感覚を丁寧に設計している。
突出や差別化を競うのではなく、「ふつうであること」に価値を見出し、それを通じてユーザーに安心と親しみを提供している点に、ありふれた男女ブランドの本質がある。
「ありふれた男女」を描く物語とキャラクター
物語における「ありふれた男女」アーキタイプは、特別ではない自分を肯定し、共感や自然体の関係性を大切にする存在として描かれる。
以下に代表的なキャラクターを紹介する(詳しくは第3章を参照):
- 『スパイダーマン』のピーター・パーカー
- スーパーパワーを持ちながら、学校、バイト、恋に悩む“等身大のヒーロー”。責任と日常の両立に苦しむ姿が共感を呼ぶ。
- 『ピーナッツ』のチャーリー・ブラウン
- 何度失敗しても諦めず、健気に日常を生きる少年。“試みる者”としての尊厳がにじむキャラクター。
- 『ちびまる子ちゃん』のさくらももこ
- 毎日のささいな出来事に泣き笑いしながら成長していく“ふつうの小学生”。視聴者の記憶と感情に強く結びつく。
- 『釣りバカ日誌』の浜崎伝助
- 出世に興味がなく、趣味と仲間を大切にするサラリーマン。“競争しない幸福”を体現する庶民派の象徴。
- 『逃げるは恥だが役に立つ』の津崎平匡
- 恋愛や人間関係に不器用ながら、丁寧に相手と向き合おうとする“こじらせ型エブリマン”。現代的な共感を呼ぶ存在。
いずれのブランドも、突出することではなく「共感を得ること」こそが価値であり、過剰な演出を避けながら、現実に根ざした信頼を育てているのが特徴といえる。
2. 社会が「ありふれた男女」を求める理由
分断と孤立が進む社会で、求められているのは“飾らないつながり”である。
リモートワークやSNSの普及で接続性は高まったが、共感や安心が得られる関係は希少になった。
「評価されること」より「受け入れられること」への欲求が、社会全体で静かに高まっている。
この時代において、「ありふれた男女」アーキタイプが象徴するのは、“ふつうでいい”という穏やかな承認。

目立たずとも、そのままでいられる空間を提供できるブランドが、人々の疲弊した心に深く響く。
また、派手さや尖りを求めるブランドが氾濫する中で、むしろ「わかる」「ちょうどいい」と感じられる“地に足のついた感覚”が、ブランド選択の重要な判断軸になっている。
「ありふれた男女」は、社会の空気をやわらげ、誰もが安心していられる“所属のインフラ”としての役割を担っている。
3. 「ありふれた男女」が生む心理的効果
「そのままでいられる」ことが、消費者の心に与える安心は想像以上に大きい。

ありふれた男女ブランドは、派手な演出や強烈な主張ではなく、日常に溶け込むことで次のような心理的効果をもたらす。
- 目立たずにいられる安心感
- 選んだことが過剰に評価されず、批判もされない。“自然に選べる”という状態自体が、消費者にとってのセーフスペースとなる。
- 「わかってくれている」という共感
- 価値観や生活感覚を共有することで、「このブランドは自分の側にいる」と感じられる。これは、情報過多の時代において最も信頼されるコミュニケーション設計である。
- 「このままでいい」と思える自己肯定感
- 過剰な理想像を押しつけず、ありのままを受け入れるメッセージが、日々の不安を静かに癒す。手の届くリアリティが、人を励ます。
- 「日常の一部」としての長期的な関係
- 選ばれる理由は語られにくくとも、失ったときに「寂しい」と思わせるような存在。共感と信頼の積み重ねによって生まれる、静かで強いエンゲージメントである。
ブランドは選択肢ではなく、「安心して選べる存在」であることが求められている。
ありふれた男女アーキタイプは、その最前線で“日常に寄り添う力”を静かに発揮しているのだ。
第2章 「ありふれた男女」アーキタイプの成長段階
アーキタイプとは、単なる性格分類ではない。
それは内面的な成長を通じて深まっていく“人間の発達物語”である。
「ありふれた男女」アーキタイプもまた、特定の価値観をそのまま象徴するのではなく、疎外と所属、孤立と共感といった葛藤のなかで、段階的に成熟していく存在である。
この成長の過程で鍵となるのは、「仲間であること」の意味をどこまで深く掘り下げられるかという問いである。
表面的なつながりにとどまるのか。
それとも、集団の中にいながら自分らしさを失わずにいられるのか。
その違いが、ブランドにとっての“ふつう”の定義を大きく左右することになる。
マーガレット・マークとキャロル・S・ピアソンは、このアーキタイプの成長段階を以下のように整理している:
- 覚醒を促す声(コール)
- 孤独感、疎外感
- レベル1
- 捨てられた感覚や孤独感を抱き、結びつきを求めている孤児
- レベル2
- 人とつながり、集団に溶け込み、助けや友情を受け入れるすべを学んでいる社交家
- レベル3
- 能力や環境にかかわらず一人ひとりが生まれ持つ尊厳を信じている人道主義者
- 影
- 孤独よりも虐待を選ぶ犠牲者、ギャングの一員であるために暴力さえ厭わないリンチ集団のメンバー
このアーキタイプにとって「共感されること」は、ゴールではなく出発点にすぎない。
成熟した「ありふれた男女」は、ただ居場所を得るのではなく、自分らしさを保ちながら他者との関係性を育む存在へと変化していく。
その成長の段階を、次に見ていこう。
1. 「ありふれた男女」の成長段階のプロセス
アーキタイプの成長は、社会的な役割の変化ではなく、内面の発達と関係性の深まりによって形づくられるプロセスである。
「ありふれた男女」アーキタイプの成熟は、ただ“共感される存在”になることではない。
孤独とつながり、承認と自尊、迎合と尊厳といった対立する感情のなかで、真に人と関わる力を育てていく道のりである。
この成長の道筋では、「誰かとつながりたい」という衝動を出発点に、他者との関係性をどう築くか、自分という存在をどう扱うかが大きなテーマとなる。
先に示されたマーガレット・マークとキャロル・S・ピアソンの成長段階に沿って、内的な進化の道のりを見ていこう。
覚醒を促す声(コール)
「ありふれた男女」が目を覚ますきっかけは、深い孤独の感覚である。

どこにも属していない、誰にも理解されていないという実感が、強い不安と共に押し寄せる。
これは表面的には“無視された”と感じる体験として現れるが、根底には「自分には居場所がないのではないか」という根源的な問いがある。
この違和感や寂しさが、「誰かとつながりたい」「ここにいてもいいと思われたい」という最初の欲求を呼び起こす。
レベル1:つながりを求める──孤児としての自己認識
成長の初期段階では、ありふれた男女は捨てられた存在として世界を認識する。
友人や家族、職場といった関係性のなかで、「自分だけが外にいる」と感じる体験が積み重なっていく。

ここでのキーワードは“渇望”であり、誰かと関係を結びたいという気持ちは強いものの、同時に「また拒絶されるのでは」という恐れも抱えている。
この段階のブランドは、孤立を感じるユーザーの存在をそっと認め、「あなたは一人ではない」という共感の入り口を提供する。
レベル2:つながりを育てる──社交家としての習熟
次の段階では、ありふれた男女は集団に溶け込む方法を学びはじめる。
協調性、謙虚さ、空気を読む力といった“社会的スキル”を通じて、自分の立ち位置を少しずつ見つけていく。

このフェーズで重要なのは、受け入れられることで安心する反面、同調しすぎることによる自己喪失のリスクも孕(はら)んでいる点である。
ありふれた男女ブランドはこの段階で、「あなたらしさを保ったまま、私たちの一員になれる」というメッセージを通じて、つながりと個性の両立を支える役割を果たす。
レベル3:すべての人の尊厳を信じる──人道主義者としての成熟
最終段階において、「ありふれた男女」は「誰もが等しく尊重されるべき存在である」という信念を持つようになる。
自分が受け入れられた経験を通じて、今度は他者に安心や共感を与える存在へと変わっていく。

ここでは、関係性に依存せずとも、自分が何者であるかを知っている。
ブランドとしての振る舞いも、ただ顧客に合わせるのではなく、共感を軸に自らのスタンスを明確に打ち出していく。
つまり、単なる“親しみやすさ”を超えて、「誰もがここにいていい」と語れるブランドへと進化していくのだ。
コールからレベル3までを通じて、「ありふれた男女」アーキタイプがたどるのは、他者とつながりたいという本能的な欲求を、個性と尊厳に基づいた関係性へと昇華させていく物語である。
ありふれた男女ブランドはその歩みを支えながら、ユーザーにとっての“居場所”を提供する存在へと成熟していく。
2. 「ありふれた男女」の影とリスク
どのアーキタイプにも光と影がある。
「ありふれた男女」アーキタイプが体現するのは、共感、安心、日常への親和性といった温かな価値だが、そのエネルギーが過剰になったとき、迎合、同調圧力、自己喪失といった形で歪んだ影を生み出す。
(1) 他者に溶け込みすぎることで起きる自己喪失
「ありふれた男女」が最も陥りやすいのは、「受け入れられる」ことを重視するあまり、自分を押し殺してしまうリスクである。
誰とでも仲良くなれるがゆえに、自分の価値観を曖昧にしてしまったり、場に合わせて変わりすぎてしまうのだ。
ブランドにおいても、「どの層にも受け入れられること」を追い求めた結果、明確な意志や差別化を失い、印象に残らない“無難な存在”になってしまう危険がある。
(2) 仲間意識の裏で起きる排他性
「みんなの中の一人でいたい」という欲求が強くなりすぎると、その“みんな”に属していない他者への拒絶や、排他性が生まれることがある。
過度な仲間意識は、異質な存在を排除する“見えない同調圧力”を生みかねない。

ブランドがこの傾向を持つと、「私たち」対「あなたたち」という構造を助長し、多様性を欠いた表現になるおそれがある。
ありふれた男女ブランドが担うべきは、分断の強化ではなく、多様な人々が共存できる空気づくりである。
(3) 共感過多による主体性の希薄化
共感を重視するあまり、ユーザーの顔色をうかがい続け、ブランドとしての主張やビジョンが曖昧になることがある。
「誰にでも優しい」ことは美徳だが、「誰のために何を信じているか」が不明確になると、ブランドの存在意義が薄れてしまう。
ありふれた男女ブランドが真に信頼されるには、ただ迎合するのではなく、「どんな暮らしや関係性を大切にしているか」を明確に打ち出す必要がある。
(4) 影と向き合うことが、共感力を本物にする
ありふれた男女ブランドが成熟するには、「ただの共感」や「表面的なやさしさ」を越えて、真の他者理解へと踏み込むことが求められる。
それは、孤独や拒絶を経験したことのあるブランドであるという“傷の共有”であり、誰もが自分らしくいられる場所をつくるという“意思の表明”でもある。
リスクを避けるだけでなく、不完全さを受け入れた上で、それでも一緒にいようとする態度が、ブランドに深みと信頼をもたらす。
共感とは、ただ優しいことではない。
覚悟をもって他者を理解しようとする姿勢のことである。
第3章 日常における「ありふれた男女」アーキタイプの活性化
1. 「ありふれた男女」が立ち上がる日常の場面
「ありふれた男女」アーキタイプは、特別な状況や劇的な変化の中だけに存在するものではない。
この元型は、日常のなかでふと立ち上がる“ここにいていいのだろうか”という不安や、“誰かとつながっていたい”という静かな欲求として、私たち一人ひとりの内側に根づいている。
仲間外れを恐れる気持ちや、誰かに「わかるよ」と言ってもらいたい感覚——そうした思いのなかに、「ありふれた男女」のアーキタイプは目覚める。
つながりを求める心が現れやすいのは、次のような日常の瞬間である。
- 誰かと雑談できたときの安堵感
- 店員とのちょっとした会話に救われた瞬間
- 職場や学校で「浮いてない」と感じたとき
- SNSで「同じ気持ち」と共感された投稿
- 食卓を囲む「いつものメンバー」がそろった夜
- 電車やカフェで見知らぬ他人と“空間を共有”していると感じたとき
- 人と違うことを指摘されて、少し不安になったとき
- 同じ服、同じ言葉、同じ経験を「共有」している安心感
これらはすべて、「誰かと同じであること」や「ここにいても違和感がないこと」が、深いレベルで私たちを支えている証左である。
「ありふれた男女」アーキタイプは、こうした日常の場面を通じて、人は「孤立していない」と感じ直す機会を提供する。
そして、その感覚がもっとも強く立ち上がるのは、次のような行動をとったときである。
- 「いつもの朝食」がくれる安心
- 同じ手順で朝を迎えることが、変わらない自分を確かめる儀式となり、日常への所属感を育てる。
- 皆と同じ番組を見る夜
- テレビやラジオを通じて「今、この瞬間を共有している」という感覚が、孤独をゆるやかに溶かしていく。
- 人混みの中にいる選択
- あえて混雑した場所に身を置くことで、自分が社会の一部として機能している実感を得られる。
- “誰でも行く場所”の居心地
- ファストフードや量販店など、万人向けの空間に自然と溶け込むことで、特別でなくても大丈夫と思える。
- 「わかる」に託す共感
- SNSでのリアクションを通じて、見知らぬ誰かと“気持ちの断片”を静かに共有することができる。
- なんとなく心地よい時間を大切にする
- 何もしなくても満たされるひとときを味わうことが、「特別でなくても満足できる自分」を認める感覚につながる。
- 見知らぬ人と自然に話す
- ふと交わしたひとことに、自分が社会とスムーズにつながれているという手応えが宿る。
こうした行動は、どれも静かだが確かに「この世界で浮かずに生きている」感覚を支えている。
ありふれた男女ブランドが担うのは、特別さではなく“自分もここにいていい”と思える空気をつくることだ。
「ありふれた男女」アーキタイプは、誰にでもある“ふつうでいたい”という欲求のかたちであり、「特別にならなくても肯定される」という力を象徴している。
その価値を丁寧に言語化し、届け直すことは、派手さのない場所から社会の孤立をゆるめ、信頼とつながりを育てる確かな役割を果たす。
2. 「ありふれた男女」を描く物語とキャラクター
「ありふれた男女」アーキタイプは、日常を生きる人物の中にこそ宿る。
壮大な冒険や劇的な変化ではなく、家族や職場、友人との関係のなかで“自分らしくいられる居場所”を探す姿にこそ、その魅力はある。
無理に目立つことも、世界を変えることもない。
それでも、“ちゃんと今日を生きている”という誠実さが、物語に安心感と共感をもたらしていく。
このアーキタイプが物語の中で繰り返し示す共通の構造は、以下の通りとなる:
代表的な物語的要素:
- 目立たず、派手な変化は起こさないが、確かな安定感を物語にもたらす
- 他者との関係性のなかで、人としての魅力が浮き彫りになる
- 困難に対して特別な才能ではなく、“常識”と“誠実さ”で立ち向かう
- 「誰にでもなれる」存在として、観る側の感情移入を引き出す
- 仲間の中で潤滑油となり、グループ全体のつながりを支える
- 社会や環境に適応しながらも、自分の価値観をゆるやかに保つ
- 理想のヒーロー像ではなく、現実の“等身大の人物”として描かれる
以下では、「ありふれた男女」アーキタイプを象徴的に体現する代表的なキャラクターを、海外と日本の物語から紹介していく。
- 『スパイダーマン』のピーター・パーカー
- ピーター・パーカーは、超人的な能力を持ちながらも、学校生活、アルバイト、恋愛、家計の悩みといった“ありふれた日常”を生きる青年である。彼の葛藤は、ヒーローとしての責任と、普通の若者としての生活のはざまで揺れ動く姿にこそある。スーツを脱げば、友人関係に悩み、職場で上司に叱られ、愛する人に言葉を伝えきれない、どこにでもいる若者として描かれる。ブランドにおいても、“力があるからこそ悩む等身大の存在”という構図は、優れた共感設計のヒントとなる。
- 『ブリジット・ジョーンズの日記』のブリジット
- ブリジット・ジョーンズは、完璧でもないし、誰より美しいわけでもないが、恋に悩み、仕事に落ち込み、ときにやけ酒をあおる姿が“人間らしさの塊”として支持され続けている。彼女の強さは、何かを劇的に変える力ではなく、「それでもやっていく」という小さな意志に宿る。ブランド文脈においては、理想像や成功モデルではなく、弱さを抱えた“ふつうの人”の物語が、いかに強い愛着を生むかを示す好例となる。
- 『ピーナッツ』のチャーリー・ブラウン
- チャーリー・ブラウンは、勝負に負け続け、友達にからかわれ、犬にすら頼られない。しかし彼は、何度失敗しても諦めずに前に進もうとする。そのひたむきな姿は、勝者ではなく“試みる者”としての人間の尊厳を象徴している。華やかさや結果ではなく、誠実さと継続の価値を語るこのキャラクターは、ブランドにとっても「派手ではないが誠実であること」が、いかに強力な資産になるかを教えてくれる。
- 『ザ・オフィス(米国版)』のジム・ハルパート
- ジム・ハルパートは、平凡な事務職として毎日デスクに向かい、同僚たちと冗談を交わしながら、やりきれない日常をやりすごしている。彼は特別な功績を残すことはないが、視聴者の“感情の窓口”として、共感と観察の視点を物語に与えている。ブランドにおいても、強い主張やカリスマ性ではなく、あえて“普通”に徹することで得られる信頼や親しみは、他にはない価値として機能する。
- 『ダイ・ハード』のジョン・マクレーン
- ジョン・マクレーンは、超人的なヒーローではない。ただの刑事であり、家族ともうまくいかず、プライベートでは崩れかけている。だが彼は、危機のなかでも愚痴をこぼし、ぼやきながら、それでも人を守るために動く。彼の強さは完璧さではなく、“不完全なまま行動する覚悟”にある。「ありふれた男女」アーキタイプとして、どんな状況にあっても自分を見失わず、誰かのために動く力を象徴している。
- 『アバウト・ア・ボーイ』のウィル・フリーマン
- ウィル・フリーマンは、何の理想も持たず、気楽な独身生活に満足している“無責任な大人”として登場する。だが、少年との出会いを通じて少しずつ変化し、「誰かとつながること」の意味を学んでいく。その変化は劇的ではないが、共に過ごす時間と関係性のなかで芽生える。ブランドにとっては、“変化しようとしない人物が変わっていく物語”こそが、潜在的な共感を呼ぶナラティブとなる。
- 『ブレイキング・バッド』初期のウォルター・ホワイト
- ウォルター・ホワイトは、冴えない高校教師であり、家族を支えきれない中年男性として物語が始まる。病と貧困に追い詰められ、極端な選択へと向かっていく姿は、普通の人間が“限界のなかで何を選ぶか”を問いかける。後の変貌は“影”の領域だが、初期のウォルターには、抑え込まれた怒りや誇り、焦燥といった「誰にでもある感情」が濃密に宿っている。ブランドにおいても、「ありふれた男女」アーキタイプの影は、過剰な同調や沈黙のなかに潜む危うさとして扱う必要がある。
- 『クレヨンしんちゃん』の野原ひろし
- 野原ひろしは、郊外に家を持ち、家族のために働き、ビールと風呂と安い給料に一喜一憂する“庶民の父親”である。その言動は決してかっこよくはないが、家庭への責任感と素朴な優しさがにじみ出ており、日本における「ありふれた男女」像のもっとも身近なモデルと言える。ブランド文脈においても、「特別ではないからこそ信頼できる」存在として、日常性と親密さを軸に据えた語りに適している。
- 『ちびまる子ちゃん』のさくらももこ
- さくらももこ(まる子)は、昭和の地方都市に暮らす小学3年生として、家族や友人とのちょっとした出来事に心を揺らす“ふつうの子ども”である。彼女の葛藤は小さくても真剣で、喜びや失敗のひとつひとつが等身大の視点で描かれる。その語り口と情緒の豊かさは、ブランドが「誰の中にもある小さな感情」に触れるときの、強力な感情喚起装置となりうる。
- 『結婚できない男』の桑野信介
- 桑野信介は、腕は立つが社交性ゼロ、他人と距離を取り続けてきた中年独身男性である。偏屈で理屈っぽく、人間関係を避け続けていたが、日々の暮らしの中で少しずつ他者との接点を見出していく。その変化は劇的ではなく、あくまで本人なりの不器用な歩みである点にこそリアリティがある。ブランドが「ズレながらも人とつながる」ことを肯定したいとき、桑野のような存在はその象徴になりうる。
- 『逃げるは恥だが役に立つ』の津崎平匡
- 津崎平匡は、真面目で繊細、対人関係が苦手な独身会社員である。恋愛も結婚も「他人事」だった彼が、仕事としての「契約結婚」を通じて、人との関係や感情の機微をひとつずつ学んでいく姿は、現代における“こじらせ型エブリマン”(ありふれた男女のこと)として広く共感を集めた。ブランドにとっても、無理に突き抜けるのではなく、“慎重に歩み寄る姿勢”を体現する存在として、現代的な共感性を喚起する。
- 『SLAM DUNK』の桜木花道
- 桜木花道は、バスケ未経験の不良少年から、チームの一員として成長していく高校生である。彼には才能も自信も最初はないが、仲間との関わりと努力を通じて、自分を信じる感覚を育てていく。その過程は、ありふれた人が「何かに出会って変わっていく」アーキタイプのポジティブな進化形を描いており、ブランドが「成長」や「きっかけ」を語る際のモデルとして力を持つ。
- 『おもひでぽろぽろ』の岡島タエ子
- 岡島タエ子は、東京で働くごく普通のOLであり、ある夏の滞在を通じて、自分の人生を静かに見つめ直していく。彼女の悩みは大きな事件ではなく、「これでよかったのか」というささやかな問いであるが、その内省の深さが、かえって多くの人にとって切実に響く。変化を押しつけず、問いの中にとどまる姿は、「答えを急がない共感」や「感情に寄り添うブランド」のあり方と重なっている。
- 『釣りバカ日誌』の浜崎伝助
- 浜崎伝助は、仕事には執着せず、趣味に生きる平凡な会社員である。だが、その“平凡さ”を恥じず、むしろ自分らしさとして肯定している点に、現代的な価値観の先取りがある。社長と親しくなっても自分のペースを崩さず、楽しみと人間関係のなかでゆるやかに幸せを育てていく彼の姿は、「出世や競争に背を向けても、人生は肯定できる」というブランドメッセージの象徴にもなりうる。
これらの物語やキャラクターは、「共感」「等身大」「安心感」といった「ありふれた男女」アーキタイプの本質を、それぞれに体現している。
ブランドづくりにおいても、特別さではなく「日常のなかに居場所をつくる力」が、人と人との信頼を育てる。
重要なのは、「誰にとって、どんな“ふつう”を描いているのか」を言語化し、共感を生む語り方に落とし込むことだ。
第4章 「ありふれた男女」アーキタイプを体現するブランド
1. 「ありふれた男女」に適したブランド領域
マーガレット・マークとキャロル・S・ピアソンの共著『The Hero and the Outlaw(邦訳:ブランド・アーキタイプ戦略)』では、「ありふれた男女」アーキタイプにふさわしいブランドの属性を次のように整理している。
- 利用者に帰属感を与える
- 日常生活でよく使われる機能を提供する
- 中~低価格帯(または、通常なら低価格な商品の高級版)
- 庶民的な組織文化を持つ企業が製造または販売している
- 高価格なブランドやエリート・ブランドと前向きな形で差別化を図りたい
ここに通底するのは、「選ばれるために気取らない」「特別ではなく、身近である」という姿勢である。
以下、「ありふれた男女」アーキタイプがもっとも力を発揮する5つのブランド特性を整理する。
(1) 日常に根ざし、共通体験を支えるブランド
ありふれた男女ブランドの中心は、毎日の生活の中にある。
食料品、衣類、住宅、生活雑貨など、特別ではないが欠かせない商品領域において、「私たちもこれを使っている」と思わせる設計が力を持つ。

共通言語や生活文化を共有することが、ブランドとの“仲間感”を生む鍵となる。
(2) 価格・機能のバランスに優れた“ちょうどよさ”を持つブランド
このアーキタイプが宿るのは、単なるローコストではなく、“ちょうどいい”を提供するブランドである。

高すぎず安すぎず、派手すぎず地味すぎない——そうした適度さは、利用者に安心感と「自分の選択に誇りが持てる」という実感を与える。
価格ではなく価値の感覚で共感をつくる。
(3) 特別な人ではなく“誰でも使える”ことに価値を置くブランド
ありふれた男女ブランドは、「誰でも手に入れられる」「使いこなせる」「属しても浮かない」ことをポジティブに語る。
初心者歓迎、家族向け、地域密着、ジェンダーフリーなど、利用者の“分け隔てられたくない”気持ちをくみ取る設計が求められる。
(4) 自然体のストーリーテリングが馴染むブランド
このアーキタイプには、過度な演出や奇抜な表現は不要である。
むしろ、「私たちも同じです」という対等な語り、「お客様とともに育つ」という共創的な姿勢が支持される。
実際のユーザーの声や生活の風景が、そのままブランドの物語になるような設計が好まれる。
(5) エリートとの差異化として“庶民性”を戦略化できるブランド
高級ブランドや尖ったコンセプトブランドとは異なり、ありふれた男女ブランドは、“普通であること”自体を価値として提示できる。
無印良品やイケアのように、「選ばれすぎないこと」に誇りを持ち、「多くの人にちょうどいい」を理念に変えることで、逆説的な差別化を実現する。

(1)〜(5)をふり返ると、「ありふれた男女」アーキタイプは、目立つことではなく「共にあること」に価値を見出すブランドにこそ宿る。
ユーザーに対して「あなたと同じ視点を持っています」と伝えることで、安心と信頼、そして長期的な関係性を築く。
特別さよりも共感、強さよりも親しみ。
そうした重心の置き方が、このアーキタイプを機能させる鍵となる。
2. 「ありふれた男女」を体現するブランド事例
「ありふれた男女」アーキタイプは、特別でもエリートでもない”普通の人”の視点を中心に据えることで、生活者との深い共感を生み出す。
このセクションでは、その本質を体現する6つのブランドを紹介する。
(1) IKEA:”ふつうの暮らし”に寄り添う民主的デザイン
IKEAは、高品質でありながら手に届く価格の商品を通じて、多様な生活者にとっての”居心地の良い空間”を支えてきた。

デザイン性がありながら気取らず、DIYという能動的な関与も促すことで、「自分の暮らしを自分でつくる」感覚を後押しする。
高級でもなく安物でもない、その絶妙なポジションは、まさに「ありふれた男女」の価値観と直結している。
(2) UNIQLO:誰にでも似合い、日常に溶け込む服
UNIQLOは、ファッションというより”生活の道具”としての衣料を提供している。

高級ブランドのようなアイデンティティではなく、誰でも手に入れられ、誰でも着こなせる。
肌触りや温度調整、着回しといった実用性の追求が、日常に溶け込む”ふつう”の信頼を構築している。
これは、”等身大の自分”でいたいと願うユーザーにとっての安心材料となる。
(3) Target:気軽さとセンスのあいだにある場所
米国の大手ディスカウント小売チェーンであるTargetは、価格とデザイン、機能と感情価値のバランスをとるブランドとして、米国における”暮らしの共感装置”になっている。

高すぎず安すぎず、派手すぎず地味すぎない選択肢の数々は、消費者の”自分らしい普通”を支える。
雑貨や日用品からアパレル、コスメに至るまで、「気取らないけれど、少しだけ気が利いている」という設計が一貫している点に、ありふれた男女アーキタイプの成熟を見てとれる。
(4) Home Depot:等身大の力で暮らしを整える
米国のホームセンターであるHome Depotは、プロフェッショナルではない”生活者としての自分”が、自宅や生活空間に手を加えるための手段と場を提供している。

特別な技能や資本がなくても、「自分の手で整える」ことを可能にする商品構成と店舗体験は、実用的でありながら自己効力感を喚起する。
これは、”自分もやれる”という感覚を持ちたいすべての生活者へのエンパワーメントとなっている。
(5) Wrangler Jeans:働く人の身体と価値観に根ざす衣服
Wranglerは、労働や日常に根ざしたジーンズブランドとして、ファッション性よりも耐久性と信頼性を重視してきた。

農作業や屋外作業など、身体を使って働く人の生活を前提に設計されたこのブランドは、着飾るための服ではなく”生活に耐える服”として共感されている。
これは、格好つけるよりも”ちゃんとしていたい”という、「ありふれた男女」的な価値観の象徴である。
(6) Jim Beam:特別じゃない日のご褒美
Jim Beamは、庶民的な価格帯ながら、歴史と品質に裏打ちされたウイスキーとして、日常にひとときの緩みを提供する。

「いつも通り」の一日の終わりに、背伸びせず味わえる一杯は、”これでいい”という感覚を支える役割を果たしている。
肩ひじ張らず、日常を受け入れながら楽しむスタンスは、まさに”ありふれた男女”の本質を体現する。
これら6つのブランドに共通しているのは、決して派手ではないが、生活者の視点に立ち、日常の中で自然に選ばれていく構造を持っている点である。
信頼、親しみ、安心、使いやすさといった感覚的要素がブランド体験の中心にあり、「誰でも」「いつでも」「ふつうに」使えるという価値が、深い共感と支持を生んでいる。
終章 つながりを支える力──アーキタイプが描くブランドの共感力
ブランドが語るメッセージ以上に、「どう共に生きるか」が問われる時代において、アーキタイプはその在り方を定義するフレームとなる。
「ありふれた男女」アーキタイプは、特別でも目立つ存在でもない。
だが、そこにあるのは「誰かと共にあること」への切実な欲求と、目立たなくとも確かなつながりを重ねる力だ。

このアーキタイプは、気取らず、誇張せず、しかし確実に人の心の深部に届くブランドの在り方を示してくれる。
必要なのは、「どう注目されるか」ではなく、「どう寄り添い、信頼されるか」という視点だ。
派手な演出や差別化ではなく、日々の中に溶け込むこと、生活の中で思い出されること、自分の一部のように感じられること。
ありふれた男女ブランドは、その共感力によって、顧客との静かな絆を築いていく。
だからこそブランドは自問すべきだ──「私たちは、誰とどのようにつながる存在なのか?」と。
「ありふれた男女」アーキタイプは、その問いへの答えを、実感に根ざしたかたちで与えてくれる。
それこそが、共感と安心を生み出し、ブランドが“日常の一部”として生き続けるための、もっとも静かで、もっとも強い力なのだ。