「流暢性効果」とはスッと頭に入ってくる情報ほど好ましく感じる心理傾向のことである。
「処理流暢性」といわれる認知的な情報処理のスムーズさ、効率のよさが心地よさを生み、それを見聞きする対象の好ましさと勘違い(誤帰属)してしまうのだ。
好ましさだけではない。
より正しいと感じたり、より知名度があると錯覚したりもするという。
そのマーケティング効果も侮れない。
ブランドの処理流暢性を高めるちょっとした工夫が、好意や親近感、信頼性の素地をつくり、ブランドの想起率を高め、購買行動を引き出していく。
本記事では心理学で知られる処理流暢性の概念をマーケターが押さえておきたいポイントに絞って解説していく。
流暢性効果(処理流暢性)とは?
心理学用語の1つに「流暢性効果」というのがある。
「処理流暢性(processing fluency)」から来る効果だ。
端的にいえば、スッと頭に入ってくる情報ほど好ましく感じる心理傾向のことである。
日本語の「流暢(りゅうちょう)」といえば、たいていは「英語を流暢に話す」など、話しぶりがなめらかでよどみないことを意味する。
しかし、この心理学用語の「流暢」は、認知的な情報処理のスムーズさ、効率のよさを指す。
ここで認知的な情報処理とは、五感を通して情報を頭の中に取り込み、それらを整理・分類したり、意味づけたりすることで「わかった」という感覚にたどりつくまでをいう。
その過程がスムーズに進み、何ら苦もなく感じると、対象をより好ましく、時には美しく、本当らしく思えてくるという。
人物であれば有名だと感じたり、商品であれば安全でリスクが少ないと感じることもあるらしい(八木・笠置・井上 2023)。
心理学では「誤帰属(misattribution)」といって、人は物事の原因を誤って本来のものとは異なる原因に帰属させてしまうことがある。
流暢性効果(処理流暢性)もその誤帰属の1つだろう。
スッと理解できることの心地よさを、その対象の好ましさと勘違いしてしまうのだ。
さらにそのにわかに湧いた好ましさも万能で、本当らしさや親近感、知名度の高さなどの評価に簡単に置きかえられてしまう。
韻踏み効果
わかりやすい例を1つ挙げよう。
「韻を踏む」ことによる流暢性効果だ。
「韻踏み効果」とも言われるが、詩や文章、あるいは歌やラップの歌詞などで同じか似た響きをもつ言葉が一定の間隔で並ぶと、独特のリズムが生まれ、心地よく感じる。
「注意一秒、けが一生」「一丁目一番地」などがその例で、記憶にも残りやすいため、スローガンや標語、広告コピー(例:インテル入ってる/intel inside)などにも多用される。
たとえば毎年恒例の「サラっと一句!わたしの川柳コンクール(サラ川)」(サラリーマン川柳から改称)では「また値上げ 節約生活 もう音上げ」が一般投票で1位の座を獲得している(読売新聞オンライン 2023.5.25)。
物価高の続く世相を詠んだ句への共感もあるが、「値上げ」と「音上げ」が韻を踏んでいることが幅広い票を集めた要因の1つだろう。
哲学者のニーチェは「韻律(詩の音声的な形式のこと)に乗った祈りは神々の耳元にまで届くように思えるのだ」と語ったという(なぜ世界はそう見えるのか P121)。
現代社会の今でも、リズムに乗った言い回しは流暢性効果を呼び、大衆性を引き寄せているのだ。
処理流暢性の功罪
ここまでの説明でひょっとすると同効果は「そのぐらいのことか」「副次的効果に過ぎない」とたかをくくってしまうかもしれない。
しごくもっともで、わざわざ心理学で研究の対象にするほどのことかと。
しかし、消費者から購買行動を引き出そうとするマーケターにとって流暢性効果(処理流暢性)は決して侮れない概念である。
工夫次第ではブランドに対する好ましさや親しみ、信頼感を増すのを後押してくれる。
しかも消費者はマーケターの流暢性効果を引き出そうとする試みに気づかないことが多い。
それゆえ、抵抗や反発を招きにくい。
さきほどの川柳コンクールで「また値上げ 節約生活 もう音上げ」に票を入れた人たちの多くも「韻を踏んでいるのがよい」と強くは意識して評価したわけでないだろう。
また、流暢性効果はけっこうたちが悪い側面があることも頭の片隅に入れておこう。
思わぬ判断ミスや誤認識などを招き、普段の生活にも悪影響を及ぼすこともあるのだ。
誤ったことでも正しいと感じる「真理の錯誤効果(真実性の錯覚)」と常に隣り合わせであることを自覚しておいたほうがいい。
それゆえ、流暢性効果(処理流暢性)は認知バイアス(認識上のゆがみ)の1つに数えられることもある。
バイアスの結果として判断や意思決定が結果的にゆがんでしまうことを「心的汚染」というが、流暢性効果は実際にその汚染を引き起こしてしまいかねないのだ。
複数の論文によれば、流暢性効果にはいくつもの種類があるという。
何をどう認知処理するのかによって枝分かれするようだ。
主たるものには「知覚的流暢性」「言語流暢性」「検索流暢性」「概念的流暢性」「身体性認知流暢性」などがある。
ただし、それぞれが絡み合いながら処理流暢性を高め合っていることもあり、きれいに棲み分けができるとは限らない。
「認知的な処理の負担が少ない」という共通因子がファシリテーター的に働く効果といえるので、無理からぬところなのだろう。
ここからはその1つひとつをあえて切り分けて、心理学の実験などを絡めながら紹介していこう。
知覚的流暢性
見た目や音のトーン、手ざわりなど、五感を通して入ってくる刺激の物理的・形態的特徴から感じられる流暢性を「知覚的流暢性」という。
知覚するのが容易であるという感覚が対象に好ましさを湧かせ、親しみやすくあるいは本当らしく感じさせるのだ。
このことを確かめた心理実験から1つ例を挙げよう(なぜ世界はそう見えるのか、P121)。
実験参加者に「リマはペルーにある」といった文を読ませて本当だと思うかを尋ねたが、その際、印刷された文字の色や背景とのコントラストを変え、読みやすさ(知覚のしやすさ)に調整を加えた。
すると、白地に赤い文字を印刷した読みやすい文のほうが、同じ白地に黄色や水色の文字を印刷した読みにくい文よりも、本当だと思われやすかったという。
すなわち、読みやすさという知覚的流暢性が真実味の判断にも影響を与えたのだ。
この実験は色や背景とのコントラストを変えることで知覚的流暢性を調整している。
しかし、実はもっと単純にフォント(字体)を変えただけでも知覚的流暢性に差が生じるという実験報告もある(八木・笠置・井上 2023)。
たとえば、読みやすいフォント(例:Times NewRoman や Arial)と字体に装飾が施された読みにくいフォントとを比較した実験では、読みにくいフォントで書かれた商品名や説明書は、商品自体の価値が低く見積もられ、実験参加者の選択動機を低めてしまったという。
一見、表面的な違いにしか思えない知覚的流暢性が、人の「選ぶ」「決める」という判断にまで影響を与えたといえる。
その一方で、別の研究者による実験では、読みにくいフォントで薄く印字され、小さい文字でも書かれていた文のほうが、その後の記憶テストで好成績を収める結果となった(宮川・服部 2017)。
文の読みづらさによって、かえって文の内容が実験参加者の脳裏にひっかかりやすくなり、記憶保持を助けたのだ。
また、知覚的流暢性が低い(非流暢性)ほうが誤りに気づきやすいという実験報告もある。
「モーゼが方舟に載せた動物は各種何匹か?」という誤りを含む問題文(正しくは「ノア」の方舟)が読みにくいフォントで提示された場合、読みやすいフォントで提示された場合よりも、問題文に誤りがあることを気づきやすいという(八木・笠置・井上 2023)。
読みにくさがさっと直感的にとらえるのを妨げ、より注意深く読み込まれたためだと考えられる。
ほかにも、知覚対象との接触経験の多さも知覚的流暢性を高めることがあるようだ。
これは本ブログの以前の記事(単純接触効果 なぜ、視界に入るだけで好意が芽生えるのか?)で解説した「単純接触効果」と関連が深い。
「単純接触効果」とは「見れば見るほど好きになる」という現象のことで、接触頻度が高まるにつれて、対象が好ましく思えてくる効果をいう。
その好意が増す背景には対象に馴染んだことで知覚的流暢性が高まったことがあるようだ。
言語流暢性
言語流暢性は文字情報の識別や言葉の意味を素早く的確につかむことのスムーズさをいう。
言語的流暢性という言い方もする。
記事の冒頭で触れた韻を踏むことで文がわかりやすく感じられる「韻踏み効果」もその1つだ。
認知症予防などの分野で使われる「認知能力テスト」には、この言語流暢性をどの程度感じるかを測定したスコアが使われることがある。
指定したカテゴリーに合致する単語や同じ頭文字からなる単語ををできるだけ多く一定時間内に答えてもらい、その結果を数値化するらしい。
その言語的流暢性の一例を示そう。
英語を母国語とする人々にとって、 WCO とWOC はどちらも無意味な綴りであるが、 前者は発音しにくいのに対し、 後者は極めて容易に発音できるのだという(須永 2014)。
そのため、WCO のように発音しにくい綴りを読もうとすると、人々は言語的な非流暢性を経験するらしい。
発音しやすい名前の会社のほうが、発音しづらい会社よりも株価が好調になったとの実験報告ある(SmartFLASH 2019.12. 6)。
この現象は英語の言語だけに限らないだろう。
ブランドネームを開発する際など、マーケターにとっては示唆に富む結果といえる。
検索流暢性
検索流暢性の「検索」とは頭の中に記憶された情報から、目的に見合う情報を探して取り出すことをいう。
「(目的を満たす)想起」といいかえてもいいだろう。
検索流暢性とはその検索のしやすさ、思い浮かべやすさのスムーズさをいう。
検索流暢性に関する大学生を対象とした心理実験がある(なぜ世界はそう見えるのか P118~119)。
実験に参加した大学生に「自己主張できたと感じたとき」と「自己主張できなかったと感じたとき」について、一部の学生には6例ずつ、その他の学生には12例ずつの事例を思い出すように依頼する。
さらに参加者には、事例を思い出すのがどれぐらい容易だったか、また自身をどれぐらい自己主張するタイプ、あるいはしないタイプと感じているかを評定してもらう。
すると6例だけ思い出す課題を与えられた参加者は、12例を思い出すように指示された参加者に比べ、自分をより自己主張するタイプと評定したのである。
逆に12例を思い出す課題を与えられた参加者は自分を自己主張しないタイプだと考えたのだ。
なぜそうなったのか?
自己主張できた事例をたくさん挙げるよりも数例だけ思い出すほうが簡単なためだ(「いくつかの事例? 楽勝楽勝」「10数例? う~ん、難しい」)。
学生たちは事例の思い出しやすさにつられる形で、自身の自己主張の程度を判断してしまったのである。
「メタ認知」(メタは高い次元の意)というが、人は案外、自分の思考のプロセスや感情が湧くようすを対象化し、一歩引いて客観的に見ているところがある。
「よし!自分はよくわかっているな」「おっ、すらすらと答えが出てくる」といった心の声がそれだ。
このメタ認知が働き、先の実験に参加した学生たちは「これほど容易に思い出せるのは自分は日ごろから自己主張が強いためだ」などと思い至ってしまったのだ。
これは認知バイアスの1つである「利用可能性ヒューリスティック」に通じるものがある。
「利用可能性ヒューリスティック」は思い出しやすいものは(本来は滅多に起きない出来事であっても)頻繁に起こると思ってしまう傾向をいう。
すなわち、自分は日ごろから自己主張が強いと判断してしまったのだ。
概念的流暢性
概念的流暢性は意味的な連想のしやすさをいう。
対(つい)となるような概念、あるいは頻繁に同じ文脈で登場するような概念などはその関連性が見いだしやすく、概念的流暢性が発揮されやすくなる。
たとえば、「荒れた海」という文脈では「船」のほうが「ランプ」よりも流暢性が高まり、好ましさが増すといったことだ(朴・大瀬良 2010)。
ほかにもケチャップの広告案の絵コンテを使った実験がある。
ファストフード店にハンバーガーを食べに行く場面でケッチャプ画像を見せた場合と、スーパーマーケットで乾電池を買う場面でケッチャプ画像を見せた場合とでは、ファストフード店場面のほうがケチャップに対する好ましさが高かったという(朴・大瀬良 2010)。
ファストフード店のほうが同じ文脈で登場することが多く、意味的なつながり(共起性)を見いだすのがたやすい。
連想が速やかに働き、概念的流暢性が高まったことが好ましさを後押ししたのだ。
本ブログの以前の記事(お~いお茶 濃い茶 なぜSNSで拡散!? 体脂肪シールの謎)でも書いたが、同じ図形でありながら、2種類の見え方ができてしまう「反転図形」というのがある。
「ウサギとアヒル」というのがその1つだ。
見ようによっては横を向いたウサギに見えるし、くちばしを突き出したアヒルにも見える図である。
どちらに見えるかは人によって異なるはずだが、キリスト教の重要な宗教行事であるイースター(復活祭)の時期に限ってはそうではなかった。
子どもたちに同じ図形を見せると、大半がウサギに見えると答えたという。
多産で知られるウサギはイースターのシンボルであり、子どもたちの頭の中でウサギの像が活性化しやすかったことが図の見え方に影響を与えたのだ。
周囲の情報や状況によって対象の見え方が変わる現象を心理学では「文脈効果」というが、このウサギとアヒルの反転図形の見え方も概念的流暢性が高まったことが一因だろう。
身体性認知流暢性
まず身体性認知についてだが、これは人の身体が環境とどうかかわるかが認知処理に影響を与えることをいう。
「身体化された認知」という言い方もある。
そして、身体性認知流暢性とは、身体感覚と合致する対象は認知的な処理がスムーズに進むことをいう。
なかなか聞き慣れない言葉ではあるが、“身”をもって知ったことほどわかりやすく感じ、すっと入ってくるといったところだろう。
たとえば、人は気分がよいと立ち上がり、気分がよくないときはうなだれて座り込む。
上に向かう、下に向かうという感覚が身体に染み込んでいるため、「上機嫌」や「気分をアゲる」、あるいは「気分が沈む」「落胆」といった感情表現を他者が発したとき、その意味合いが身につまされるように伝わってくる。
身体性認知の流暢性によって、言葉の意味の認知的な処理が脊髄反射的になるといってもいいかもしれない。
このことを実証するビー玉を使った実験がある(なぜ世界はそう見えるのか P97)。
実験参加者の前にはビー玉の入った2つの箱があり、1つは高い位置に、もう1つは低い位置に置いてある。
実験では、あるときはビー玉を低い位置の箱から高い位置の箱へ移してもらい、別のあるときは高い位置の箱から低い位置の箱へビー玉を移してもらう。
このビー玉を上下に移動させる最中に、参加者たちは「小学生のときの話しをしてください。」「去年の夏は何をしましたか?」などと自分自身にまつわる単純な体験談を語るように指示されるのだ。
ただ漫然とビー玉を上下に移動させていたにも関わらず、発話内容に違いが表れた。
ビー玉を上に移していた参加者はポジティブな自伝的エピソードを語る傾向が見られた。
一方、ビー玉を下に移していた参加者は不運な出来事や連絡先を聞きそびれた経験などのネガティブなエピソードを語る傾向が見られたのだ。
上方向、下方向の単純な動作が、本人たちが気づくこともなく、気分が上向く内容を思い出すか、落ち込む内容を思い出すかという、感情の方向性に影響を与えていたのだ。
身体性認知流暢性が発揮され、そこに検索流暢性が乗っかることでこのような発話傾向になったのだろう。
上下だけではない。
左右の身体感覚も流暢性にかかわってくる。
多くの人にとって利き腕は右であることから、右の方向にあるものが好ましく感じやすいのだ。
そのことは「右腕」「右に出る者がいない」といった、右の方向がポジティブなことを前提にした慣用句からもうかがえる。
逆に「左前(ひだりまえ)」「左遷(させん)」などは左の方向がネガティブなことを意味する。
実際に右利きの人は、 歯ブラシの柄やマグカップの取っ手の部分が右側を向いていたほうが動きをイメージしやすいため、認知的な処理がスムーズとなるらしい(須永 2014)。
そのため、広告に掲載する商品の向きを決めることにも大きく関係してくるという。
非流暢性の効果
ここまで流暢性効果(処理流暢性)をいくつかの種類に分けて説明してきた。
見やすい(知覚)、意味や関係がわかりやすい(言語と概念)、思い出しやすい(検索)、身につまされやすい(身体性)など、提示される対象のありようや状況によって、認知的処理の容易さが変わってくるのだ。
1つ付け加えておくと、流暢性が低いこと、「非流暢性」がときに好ましさにつながることもある(八木・笠置・井上 2023)。
たとえば、ある程度絵ごころのある人が抽象的な絵画を鑑賞したとしよう。
構図や技法などをつぶさに観察し、その意味合いや時代背景などにも思いを馳せることもあるだろう。
まさに「見る」が「観る」に変わるのだ。
その場合はむしろ流暢性の低さが新たな発見や気づきの契機となり、審美的興味をくすぐり、好ましさにつながることもあるのだ。
処理流暢性とマーケティング
では、この流暢性効果(処理流暢性)を踏まえておくことがマーケティングにどう役立つのか?
まずは商品なり、広告なり、コンテンツなり、マーケティングの全アウトプットにおいて、処理流暢性の向上に努めることが肝要だろう。
消費者の認知的な処理負担をできるだけ軽くするのだ。
「知覚的流暢性」「言語流暢性」「検索流暢性」「概念的流暢性」「身体性認知流暢性」の総力戦が鉄則である。
須永(2014)の論文によれば、読みにくいフォントよりも読みやすいフォントで書かれているほうが、 トレーニング手順なら簡単に実行でき、 時間がかからないと判断され、その手順にきちんと従う意図を示したという。
料理のレシピであれば、短時間で容易に調理できると判断され、もしレストランの料理として出された場合はより多くの金額を支払う意向が高まったのだ。
マーケティング上のKPIの1つでもある、ここまでなら払ってもよいと考える金額「WPT(Willingness to Pay/支払意思額」を増やしたことになる。
このことはすなわち、フォントの読みやすさによる知覚的流暢性が単に意識を変えるだけではない。
行動意図にまで影響を与えたことになる。
マーケターなら、フォントの読みやすさだけではない。
ブランドネームやパッケージデザイン、広告など種々の流暢性を高める工夫の余地はほかにも数多くある。
ブランドのロゴやパッケージなどブランドの見せ方を工夫し、知覚流暢性を高めれば自ずとブランドの好ましさや親しみを高める素地はできるだろう。
続いては概念的流暢性だ。
広告では音声や映像を駆使し、意味ある概念的な記憶の形成に努め、ねらいとするブランド連想をつくり出す。
時には広告表現であえて流暢性を低く抑え、消費者に“ひっかかり(フック)”をつくる方法もあるだろう。
「あれっ、なんだろう?」と思わせ、興味を持続させるのだ。
そして、優れた水先案内人となるのが言葉である。
言葉はブランド連想をうまく方向づける手がかりとなるのだ。
ブランドネームはもちろん、スローガンやキャッチフレーズなどを吟味する際は、言語流暢性の側面からの留意を怠ってはならない。
そして実は目立たないながらことのほか重要なのが身体性認知流暢性である。
製品自体のユーザビリティーは身体性認知に大きくかかわる領域である。
その流暢性を身体に覚え込ませれば、ブランドを手放せなくなるほどの愛着を生む可能性もあるのだ。
そして、先に触れた「上機嫌」「落胆」のように、言葉は意外なほど身体性認知と関係が深い。
そのことは基本動作がどれほど多様な概念の基盤となっているかを想像するだけで明らかだ。
たとえば、力を加えて前に進ませる意味の「おす」は、困難を承知の上で強行する(例:反対を押して)、人や組織を推薦する(例:次期会長に推す)といったより抽象的な概念に発展し、日常語として定着している。
「つかむ」も同様だ。手でしっかり握り持つという行為が、わが物にする、掌握する、要点をとらえるといった意味に大化けしている。
身体性認知流暢性を誘発する言葉の選び方にも工夫を凝らしたほうがいいだろう。
そして、それぞれの流暢性が相乗効果を放ち、ブランドトータルの検索流暢性がもたらされるのだ。
このすぐ後で説明するが、検索流暢性が高まれば、ブランドを思い出しやすいだけではなく、その心地よさから、ブランドに対する好意的な感情も抱きやすくなるのだ。
マインドシェア&ハートシェアの獲得へ
マーケティングの世界ではブランド力の評価指標として「マインドシェア」がよく使われる。
商品やサービスなどのカテゴリー名のみを示して、頭に思い浮かぶブランドを挙げてもらった際、ブランドがどの程度想起されるか、その占有率がどれほどになるかを示す指標のことだ。
「都市」というカテゴリーの例を挙げてみよう。
世界の都市ブランド力調査(City Brand Barometer)では、一番最初に想起される都市としてニューヨークが群を抜く高さだったという(Time Out 2023.11.1)。
「世界の都市といえばニューヨーク」というぐらい、人々の記憶における結びつきが強固なのだ。
今回の記事で説明してきた処理流暢性はこのマインドシェアに直結する。
そしてもう1つ、ハートシェアという指標もある。
これは「このブランドは好きだな」「このブランドなら買いたいな」と思われる比率の高さ、いわゆる好感度の高さをいう。
流暢性の高さが思い出しやすさのみならず(誤帰属によって)好ましさにも影響を与えるなら、ハートシェアの獲得にとっても有利となる。
処理流暢性が潜伏因子となって、マインドシェアとハートシェアが互いに高め合う関係が築かれるのだ。
企業ブランドにおいてではあるが、マーケティングの大家であるコトラーによれば、マインドシェアとハートシェアは密接に絡み合っており、その2つを着実に伸ばしているブランドは必然的に市場(マーケット)シェアも高くなるという。
「流暢性効果」(処理流暢性)がブランドの命運を左右するといっても決して過言ではないのだ。
- デニス・プロフィット/ドレイク・ベアー著、小浜 杳訳「なぜ世界はそう見えるのか:主観と知覚の科学」 (白揚社、2023年)
- 八木善彦・笠置遊・井上和哉「処理流暢性を巡る議論の変遷」(心理学研究、2023年94巻3号)
- 須永努「消費者の意思決定時におけるメタ認知の影響」(商学論究 62巻2号2014年)
- 朴宰佑・大瀬良伸「ブランドネームの発音を起点とするブランド要素の整合性が広告評価およびブランド評価に及ぼす影響」(吉田秀雄記念事業財団平成21年度助成研究 2010年)
- 宮川法子・服部雅史「文字の流暢性が単語記憶課題に与える影響:ワーキングメモリの観点から1)」(認知科学/24 巻 2017年3 号)
- 鐘勇・井上奈良彦「日本語における上下メタファーの体系構成及びその特徴に関する一考察」(言語文化論究30 13-26, 2013年)