多元的無知(集合的無知):なぜ、いじめを「傍観」してしまうのか?

多元的無知 集団的無知 集合的無知
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「多元的無知」とは、集団内で誰も望んでいない慣行なのに、誰もが望んでいると誤って認識されその慣行が温存されてしまうことをいう。

残業文化や根強く残るジェンダーバイアスなど、意外にも私たちの身近なところで観察される現象だ。

一方で、「多元的無知」が生起するメカニズムを知り、それを分析の視点とすることで、マーケターは思わぬ消費者インサイトにたどり着けることもある。

今回の記事では、この社会心理学の知見をいかにマーケティングに生かすのか、いくつかの事例を交えながら紐解いていく。

目次

「多元的無知」 誰もが望まないことをしてしまう心理

社会心理学に「多元的無知」という概念がある。

言葉が何やら難しく、一瞬面食らってしまうが、実は私たちの身近でよく起きている現象の一つだ。

「多元的無知」とは誰もが否定している考え方や判断を、誰もが快く受け入れていると誤って思い込んでしまうことをいう。

ほかに「集団的無知」「集合的無知」という言い方もされるらしい。

誤認識するだけならまだいい。

より深刻なのは、誰もが受け入れているからと忖度(そんたく)し、否定されていることに即した行動をこぞってとってしまうことだ。

「多元的無知」の古典的な研究には大学生の飲酒行動を調べたものがある。

本来はお酒が好きではないのに、他の学生たちは皆、お酒を好んで飲んでいると信じ、ついつられてお酒を飲んでしまう傾向が明らかにされたという。

その状況はちゅうど、アンデルセン童話の「裸の王様」と似ているだろう。

裸の王様

他のみんなには王様の服が見えているのだろうと思い込み、周囲と一緒になって、見えてもいない王様の服をほめたたえたりもする

自分には王様が裸に見えるなどととても言えない雰囲気が場を包むのだ。

日常の “あるある” な出来事は「多元的無知」から

この「多元的無知」は米国の著名な社会心理学者、F.Hオルポートによって提唱されたというが、人は本当にそんな愚かしい錯覚をしてしまいがちなのだろうか? 

社会心理学で光が当たるほど顕著な事象なのだろうか?

実は意識されないだけでよく起きており、「多元的無知」が集団内に望まれない慣行が維持・再生産される根源をなしていると指摘する識者もいる。

ここからはいくつかその例を挙げてみよう。

職場での悪しき慣行の温存

たとえば職場で、自分は「残業はしたくない」と内心では思っていたとしよう。

ところが、周囲が黙々と残業をしていたらどうだろう?

「みんな仕事熱心で残業している」と推測し、おいそれと先には帰れず、つい自分も残業につきあうことになってしまう。

しかし、実際は職場の大半が残業をしたくないと思っているのだ。そんな周囲の人たちの胸の内を知る由もなく、「意欲的な残業」と誰もが信じてしまう。

残業を嫌がっているのは自分一人に違いないなどと勝手に思ってしまうためだ。

そうした無知や誤解が(多元的に)積み重なって、職場内に「残業文化」が温存されていく。

同様に、「多元的無知」が男性の育児休業の取得が進まない要因の一つにもなっているという。

日本経済新聞の2017年9月20日付の記事によれば、「自分は育休を肯定するが、周囲は否定的だ」と思ってしまい、誤った忖度(そんたく)から男性が育休取得を控えてしまう傾向が調査から明らかにされたという。

組織変革への気概にも、「多元的無知」が微妙に影響を与えるようだ。

「今の組織では仕事の進め方を変えると混乱を招きかねない」といった変化抑制の意識が生まれやすくなるという(パーソル総合研究所 2022.08.23)

たとえ組織変革につながる斬新なアイデアを思いついたとしても、「この変化を起こすのは大変だろう」「同僚は困るだろう」と勝手に推測し、提案を控えてしてしまうことにもなりかねない。

実際は他の同僚も変化を望んでいるにもかかわらずである。

いじめ傍観者たちへの心理的な影響

さらに「多元的無知」はいじめ問題の深刻化を招く要因にもなり得る。

いじめの現場では「いじめる側(加害者)」「いじめられる側(被害者)」、さらにはそのいじめに気づきならただ傍観している「いじめ傍観者」が存在する(All About 2022.8.4)

「いじめ傍観者」たちはいじめられている被害者に対し、本来はなんらネガティブな感情を持っていなかったとしよう。

いじめ問題と多元的無知

ところが、周囲の誰もがいじめを止めようとしないようすを見ると、きっと「いじめられるだけのもっともな理由があるのだろう」「妥当な仕打ちなのだろう」などと判断してしまう。

やがて、多くが繰り返されるいじめを容認することになってしまうのだ。

緊急時の避難行動や支援行動の抑制

さらに、この「多元的無知」が命にもかかわる事象を引き起こすことすらある。緊急時の避難行動や支援行動が抑制されてしまうのだ。

たとえば、災害が発生して避難勧告が発令され、危険が差し迫っていたとしても、一向に避難しない住民がいる。

近所の人たちが避難していないようすから、「自分たちも大丈夫だろう」と楽観してしまいがちなのだという(FASHION BOX 2020.8.3)

また、たとえ緊急事態に直面し、援助が必要な人がいたとしても、周囲に多くの人がいると、誰も率先して助けようとしないことがある。

たとえば、誰も救急車を呼ぼうとしないといったことが起こるのだ。

いわゆる「傍観者効果」と言われる現象である。

これにも「多元的無知」が一枚噛んでいて、誰も助けようとしないようすから、それほど緊急を要しないと判断してしまうらしい。

「率先避難者たれ!」

住民に地震や津波などへの警戒を呼びかけるのに使われるスローガンの一つだ。

「自分は被害に遭わないだろう」などと「多元的無知」から安易に楽観するのを防ぎ、自ら率先して避難することを勧めているのである(内閣府防災情報のページ)

「多元的無知」はなぜ起こるのか?

本ブログでも、思わず周囲の多数派の意見に従ってしまう「情報カスケード」や、逆に人とかぶるのを嫌う「スノッブ効果」など、周囲の人たちの判断や行動に影響される心理法則を取り上げてきた。

人間が「社会的動物」ゆえの現象である。

「多元的無知」もそれらに類するが、やっかいなのは素朴な無知や誤認識が幾重にも絡み、集団内では誰もが望んでいないことが実行に移されてしまうことだ。

そして、常識や慣行として温存されてしまう。

ではなぜ、「多元的無知」の現象は起きてしまうのだろうか?

見た目の行動から内面を判断する傾向

まず第一に、人は目につきやすい行動から他者の内面を推測する傾向があるためである。

たとえば先に触れたように、黙々と残業しているようすを見て、仕事に意欲的に取り組んでいるなどと推測してしまうのがそれだ。

しかし、実際は目に見える行動と内面とが一致していないことは往々にしてある。

ただし、たとえ誤認識したとしても、ちょっと周囲の人たちと腹を割って話し合う機会さえ持てば、すぐに修正されるようにも思える。

ところがそうは行かない別の心理が働く。「多元的無知」が起こる2つ目の理由がこの心理だ。

自分は「集団内の異分子」とみなす傾向

ウィキペディアの「多元的無知」の項によれば、人は集団の中で自分はどちらかといえば異分子で、人より劣っていると考える傾向にあるという。

それゆえ、「残業はしたくない」などと、否定的な意見を持つのは自分だけであり、他の人はそうではないと認識しがちなのだ。

異分子

しかも、自分は異分子との思いから、周囲からこれ以上逸脱するのは避けたいとの気持ちが募(つの)り、同調しようとしてしまう。

長いものには巻かれろの心理だ。

周囲の意に反する意見などとても口に出して言えない。

仮に集団内のAさん、BさんCさんと、大半が自分は異分子だと考えていたとしたらどうだろう? 

各自が「自分だけが意見が違う」と思ってしまい、互いに観察し合うことで誤認識の連鎖が起こり、文字通り「多元的な無知」の状況に陥るだろう。

腹を割って話し合うどころではない。

結果的に誰もが望んでいない慣行のはずが、多くが諸手(もろて)を挙げて賛成していると認識され、集団内に温存されることになるのだ。

日本特有ともいわれる「同調圧力」や「事なかれ主義」はこうした心理から生まれるのである。

自己評価の低さが「多元的無知」を助長

自分は劣っているのではないかとの不安があることが、「多元的無知」を助長し得ることを示唆する研究結果もある(「男性がジェンダーバイアスに沈黙してしまう理由」 2022.1.26)

「ジェンダーバイアス(社会的・文化的性差別)」の領域にメスを入れたその研究によれば、職場で男女平等を支持している男性であっても、他の多くの男性は必ずしも男女平等に強い関心を寄せてはいないと思い込みんでしまう。

結果的に女性を支援する行動に声を上げることに抵抗を示すという。

その際、自分の「男らしさ」の評価に不安を感じている男性ほどその傾向が強い。

これ以上「男らしさ」の基準から外れたくないとの思いから、公共の場では、異を唱えてまで女性に味方しようとはしない。

期待されている「男らしさ」からますます逸脱してしまうという不安に駆られるのだ。

かつて黒人への差別の撤廃を訴える公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング氏は以下のような言葉を残したという。

この変革の時代における最大の悲劇は、悪人の執拗な暴言ではなく、『善人の沈黙』である

この「善人の沈黙」も「多元的無知」が一因になっているのかもしれない。

「多元的無知」をマーケティングにどう生かすのか?

ではこの社会心理学の知見をマーケターはどう生かすべきだろう?

まず知るべきは「多元的無知」が購買行動に直結することがあり得ることである。

コロナ禍のトイレットペーパー買いだめ騒動

その端的な例は、2020年の春、コロナ禍で起きたトイレットペーパーの買いだめ騒動だろう。

「トイレットペーパーが品切れする」という誤った情報がネット上に駆け巡り、実際に全国各地でトイレットペーパーが品薄になった一件である。

多くの人が「デマに過ぎない」と真に受けることはなかったものの、自分以外の他の人はデマを信じるかもしれないとの懸念から、買いだめに走ったとされる。

その後、ネット上ではそれが誤りだとの訂正情報も多く流れたが、そのことがかえって不安を煽ることにもなったという。

訂正情報が方々から発信されるからには「デマを信じる人が多くいるに違いない」と、その懸念が確信に変わってしまったのだ。

この騒動のさなか、イオンリテールが都内の大型店舗で機転の利いた対応をする。“神対応”ならぬ“紙対応”と報じられたほどだ。

騒動沈静化の一助として、トイレットペーパーの大量陳列を敢行したのである。さらに「おひとり様10点まで販売致します」との店頭告知をしたという。

「おひとり様1点まで」と思いきや、そうではなかったのだ。その告知のようすはSNSでも盛んに拡散され、供給は十分にあるとの空気づくりに一役買っている。

この模様を報じたzakzak の2020年3月7日付の記事では「首都圏のいくつかの大型店にトイレットペーパーを積み、過度な購買を落ち着けようと狙った」とイオンリテール広報担当者の弁を伝えている。

コロナ禍で思いがけずに発生した「多元的無知」に一石を投じ、誤認識が連鎖的に広がるのを食い止めようとした秀逸な対応といえるだろう。

人々はトイレットペーパーが不足することはないと知ってはいた。

それでも、デマを鵜呑みにする人が大量に買い込み、やがて自分が買いたいときに買えなくなるとの不安に直面していたのだ。

そうであれば、あからさまに「買いだめを控えよう」と呼びかけるより、十分に供給があることが前提となる、むしろ店側は機に乗じて大量に買って欲しいとでも言いたげな訴求のほうが、はるかに人々は安心するだろう。

防衛的な購買行動も抑えられるはずだ。

トランプ前大統領 白人労働者を「岩盤支持層」に 

社会に潜在する「多元的無知」に対し、意表を突くアプローチをとった例がほかにもある。

トランプ前大統領

前米国大統領のトランプ氏がヒラリー・クリントン氏と戦った2016年の米国大統領選挙でのことだ。

選挙戦でトランプ氏は移民排斥に関する発言でしばしば物議の的となっていた。

「メキシコ人は強姦の常習犯。国境に万里の長城を築く」との暴言がその一例だ。

しかし、こうしたトランプ氏の過激な言動に留飲を下げたのが白人の労働者層である。

移民が職を奪っている、自分たちこそ苦汁をなめていると考えていた層だ。

しかし、米国の社会ではおおっぴらに口するわけにはいかない。そう白人労働者たちの誰もが思っていた。

ところが、そんな鬱積(うっせき)していた不満を時の次期大統領候補が公然と代弁し始めたのだ。

言ってみれば、トランプ氏は「裸の王様」で「王様は裸だ!」と叫んだ子どものように、白人の労働者層の内なる声を公言してはばからなかったのだ。

その後、トランプ氏は岩盤ともいえる支持を集め、大統領選に勝利する。

多元的無知の打破に挑んだキャンペーン

ここでマーケターが学ぶべきは、どういう層が「多元的無知」に陥り、どんな言い知れぬ不満や違和感をためているのかを見極めることだろう。

自分にとっては受け入れ難いことなのに、多くの人が受けれていると信じている、そんな認識のズレをまずもって知る必要がある。

そこから消費者を動かすスイートスポット(消費者が熱中する最大の関心事、心のツボ)が見つかる可能性だってあるのだ。

マーケターが人々の言い知れぬ違和感を察知し、「多元的無知」の打破に挑んで反響を得た事例を2つほど挙げてみよう。

フォルクスワーゲン・ビートル「Think small」

1つ目は本ブログでも何度か取り上げているフォルクスワーゲン・ビートルの広告「Think small」だ。

広告界の不朽の名作といわれる広告キャンペーンの一つで、その後にビートルは米国市場で何年も売れ続けることになる。

当時の米国では「大きいことはいいこと(Think big)」という価値観を反映し、多くの米国人が自動車といえば大型車を選ぶ傾向にあった。

みんながそれを望んでいるとの暗黙の了解があったのだ。

しかし一方で、平均世帯人数が減少傾向にあった米国にあって、大型車にコストをかけることは賢い選択なのだろうか? 

そううすうすと感じ始めていた米国人も少なからず存在していた。

そんな潜在的な不満分子たちを、小型車のビートルが「Think small.」(小さいことの価値を問え!)という広告クリエイティブで狙い撃ちにする。

「多元的無知」に陥っていた人々を目覚めさせ、ビートルは米国において小型車の市場を切り拓く先駆的なブランドとなったのだ。

パンテーン「#令和の就活ヘアをもっと自由に」

また、P&Gのヘアケアブランド「パンテーン」が実施した「#令和の就活ヘアをもっと自由に」のキャンペーンも「多元的無知」の払拭に挑んだといえるだろう。

一般的な就活生のスタイルといえば、判で押したような「黒いリクルートスーツに、黒いひっつめ髪」

そんな画一的で没個性が期待される風潮に一石を投じ、「髪から始まるもっと自由な就職活動」を広告で呼びかけたのである。

背景には、P&Gの調査で就活生の8割が「企業に合わせて自分を偽ったことがある」と答えていたことがあった。

「ひっつめ髪」に象徴されるような自分らしさを押し殺す就活のスタイルに大半が違和感を覚えていたのである。

実は採用企業の人事担当者たちの多くも、就活生が個性を表現するのを歓迎したいと考えていることが調査からわかったという。

ただし、一方で企業のスタンスとしては発信しにくいというジレンマを抱えていたのである。そこでパンテーンもまた、就活生や採用企業に対し、「王様は裸だ!」と叫ぶ子どもの役割を担う。

同キャンペーンで掲げられた広告コピーには以下のようなものがある。

「自由な髪型で内定式に出席したら、内定取り消しになりますか?」

「内定式をきっかけに、ひっつめ髪をほどいた就職活動が、この国の当たり前になりますように。」

このキャンペーンは大きな反響を呼び、「#令和の就活ヘアをもっと自由に」のハッシュタグには多くの賛同するツイートが相次ぐ。

さらに、同キャンペーンに賛同してもらえる企業を募ったところ、ひと月足らすで139社もの企業が賛同を表明したという。

それらの企業の連名で新聞広告も出稿している。

消費者インサイトを「多元的無知」から

今回の記事では「多元的無知」を取り上げた。本記事のタイトルにも掲げたように悪しき慣行が温存されかねない、やっかいな心理法則といえる。誤った認識が正される機会が集団の力学によって閉ざされてしまうのだ。

しかし、もしマーケターが「多元的無知」が生起するメカニズムを知り、それを分析の視点として活用することで、消費者の何らかのインサイトにたどり着ける可能性もある。

そして、フォルクスワーゲンやP&Gのキャンペーン事例で見たように、「多元的無知」の解消に役立つ打ち手の発案につなげるのだ。

消費者の胸のうちにひっそりと潜在していることであり、その発見は決して容易ではない。

それでも、なにかの拍子にふと気づけるよう、「多元的無知」なる集団心理の原理をマーケターなら頭の片隅に入れておくとよいだろう。

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