透明性の錯覚 自己中心性バイアスの刃

透明性の錯覚
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自分の内面が他者から見透かされていると思い込む傾向を「透明性の錯覚」という。

考えや感情など内的な経験は自分には明らかで煌々(こうこう)としているだろう。

しかし、自分が思うほど他者がその内面を理解してくれているとは限らないのだ。

人と人との関わりの中で、透明性の錯覚は様々なミスコミュニケーションを引き起こす。

思ったほど説明が伝わっていなかった。

助けて欲しいのに誰も気づいてくれなかった。

日常の決してまれではない光景だろう。

あるいは学校などで起こるいじめにも透明性の錯覚が絡むらしい。

からかいや冗談がいかに本人を傷つけているか。

透明性の錯覚が見えなくしてしまい、いじめのエスカレーションを許してしまうのだ。

目次

透明性の錯覚とは?

「透明性の錯覚」とは自分の内面が他者から見透かされていると思い込む傾向をいう。

実際はそんなことはなくともそう錯覚しがちなのだ。

たとえば、プレゼンやスピーチで自分の緊張が周囲にバレバレだと思っていたとしよう。

プレゼンやスピーチ
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ところが周囲には落ち着いて見えていたという。

心臓がバクバクだったことなど周囲は気にもとめていなかった。

典型的な「透明性の錯覚」の事象の1つである。

自分の内面が他者にも筒抜けになっているという思い込み。

英語では「illusion of transparency」(直訳すれば「透明性幻想」)という。

透明性の錯覚とミスコミュニケーション

自分の極度な緊張なら他者に気づかれないほうがいいだろう。

しかし、透明性の錯覚が必ずしも都合のいい方向ばかりに転ぶとは限らない。

思わぬミスコミュニケーションを引き起こすこともある。

説明を尽くしたのに理解されていなかった。

誘いをやんわりと断ったのに通じていなかった

そんな経験を持つ人は少ないないだろう。

あるいは「助けが欲しかったのに誰も気づいてくれなかった」というより深刻なことも起こり得る。

学者や専門家の話が難しいと感じるのもこの透明性の錯覚が要因の1つだ。

学者や専門家の話
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学者や専門家たちは自分の頭の中では自明のことを話しているため、つい「これぐらいのことなら分かるだろう」などとたかをくくってしまう。

そのため、聞き手のレベルに合わせてチューニングするのを無意識のうちに怠るのだ。

学校などでいじめが起こるのにも透明性の錯覚が絡むらしい(武田 2019)

いじめ
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ややきつい冗談であっても、この程度なら言われた相手が親密さの延長ゆえの発言と捉えるだろうと思い込む。

透明性の錯覚が介在することで、傷つけているとは思わないのだ。

そのやりとりを見ていた周囲も深刻には捉えず傍観してしまう。

いじめであろうはずがないとやはり錯覚してしまうのだ。

そのうち、徐々にいじめがエスカレートしていくことになる。

心理学実験の具体例

人と人との関わりの中では日常的といえる透明性の錯覚だが、心理学者の手の込んだ実験によってもその強い傾向が確かめられている。

実験の具体例をいくつか挙げてみよう(「シリーズ21世紀の社会心理学 13」 2009)

  • 過去の経験に関する明らかなうそ
    • 複数のメンバーの前で自分の過去の経験に関するうその話をしてもらう。その後、何人にうそが見透かされたかを尋ねると、その推定人数は実際にうそを見破った人よりも多かった。
  • 吐き出したくなるほどまずい飲み物
    • 複数のメンバーの前で5つの飲み物をいかにも美味しそうに飲んでもらう。実は1つだけ吐き出したくなるほどまずい飲み物が含まれていた。その後、何人がそのことを見破ったかを尋ねると、その推定人数は実際に気づいた人よりも多かった。
  • 交渉中の争点の優先順位
    • グループで行う模擬交渉で、5つの争点のうち何がより重要か、その優先順位を積極的に他のメンバーに伝えてもらう。その後、何人にその優先順位が伝わったかを尋ねると、その推定人数は実際に伝わっていた人よりも多かった。
  • 表情から読み取れる感情の強さ
    • ビデオを見た際の顔の表情を事前に録画しておき、その後、その録画を見ながらどの程度感情が表情に表れていたかを本人と他のメンバーに評定してもらう。本人のほうが感情表出の強さを他のメンバーより高く評定した(本人が思うほど感情が他のメンバーに伝わっていなかった)。

いずれの実験も透明性の錯覚が往々にして起こり得ることを裏付ける結果となった。

内面を隠そうとしようが、伝えようとしようが、自分が思うほど、自分の内面は他者から見えていないのだ。

類似概念・被透視感とは?

ここで透明性の錯覚と似た概念である「被透視感」についても触れておこう。

被透視感とは直接伝えていないことが相手に気づかれているかもしれないという感覚をいう(「『隠す』心理を科学する」 2021)

透明性の錯覚は自分と他者の認識のギャップに焦点が当てられるが、被透視感はあくまで本人の主観的な世界のみのことを指す。

気づかれることを恐れる「懸念的被透視感」、気づかれることを期待する「期待的被透視感」の2つがある。

そして、この被透視感が少々やっかいなのは、気づかれているかもしれないという懸念が強まると自意識過剰になってしまうことである。

挙動不審となり、逆に相手にあやしまれることにもなりかねない。

ボードゲームを使ってこの「被透視感」を再現した実験もある(大幡 2012)

ボードゲーム
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実験の参加者たちは、ゲーム上の駆け引きから相手にうそをいうとき、目が泳ぐ、やや間をおいて話すなどの自分の挙動に何らかの変化を感じていたのだ。

その挙動が手がかりとなってますます不安になり、被透視感がよけいに募ることにもなり得る。

ここは要注意だろう。

「見透かされるのではないか?」という恐れがぎこちない行動を誘発し、他者にヒントを与えてしまう。

かえってうそが見破られてしまいかねないだのだ。

錯覚が錯覚でなくなる。一種の自己成就予言(信じたことが実現すること)といえるだろう。

主たる原因は自己中心性バイアス

ではなぜ、透明性の錯覚は起こるのか?

なぜ、自分の内面が見透かされていると過剰に思い込んでしまうのだろう?

その説明によく使われるのが「自己中心性バイアス(egocentric bias)」である。

自己中心性バイアス egocentric bias

自己中心性バイアスとは自分の内面に意識が集中し、自分しか知りえないその内面に基づいて物事を捉えてしまう傾向をいう。

誰にでも起こり得る認知バイアスの1つだ。

本来は自分の視点をいったん切り離し、他者の視点に立って物事を捉えることも必要だろう。

しかし、その切り換えがなかなか難しい。

そのせいで他者から見える世界を自分本位に決めつけてしまうのだ。

この自己中心性バイアスが透明性の錯覚の引き金となる。

自分の内面で起きていることはいつだって煌々(こうこう)としている。

その鮮明さに引っぱられてしまうため、他者が見透かせないはずがないとまで思い込んでしまう。

この現象は心理学では「アンカリング効果(係留と調整ヒューリスティック)」という。

アンカリング効果とは最初に入ってきた情報がその後の判断に影響を与えることを指す。

アンカリング効果 係留と調整ヒューリスティック
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アンカリングとはもともとは船の錨(いかり/anchor)に由来するが、いったん錨を下ろすと船が自由に動けなくなることからそう呼ばれるようになった。

自分の内面に錨を下ろしたまま、他者から見える世界を捉えてしまう。

そうやって透明性の錯覚から逃れなくなるのだ。

対策に視点取得トレーニング

ここまで透明性の錯覚の概要とその錯覚が生じるメカニズムを見てきた。

一種の人の普遍的な認知傾向であるため、なかなかこの錯覚を回避するのは難しい。

まずは対人コミュニケーションには透明性の錯覚が常に隣り合わせであることを自覚するのが第一歩だろう。

人前でスピーチするときに透明性の錯覚について丁寧に説明し、「緊張していることをわかっているのは自分だけだ」と自覚すると、スピーチの不安が和らいだという報告もある(PRESIDENT WOMAN 2023. 4. 7)

また「視点取得(perspective-taking)」のトレーニングも有効らしい。

視点取得とは他者の視点から物事を見ることをいう。

単に共感する、感情移入をするだけではない。

その他者の視点から世界がどう見えているかを想像し理解する(VOGUE JAPAN 2021.7.29)

情緒的というよりは認知的な能力が要求されるようだ。

この視点取得の能力が高い人は暴力沙汰に発展しそうな局面でも冷静さを保てるらしい(「犯罪心理学がよーくわかる本」 2009)。

相手が怒りを露(あらわ)にし、攻撃性をむき出しにしてきても安易に挑発に乗ったりはしない。

冷静さ
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相手の怒りの原因や心の痛みを察することができるため、冷静に一呼吸おけるのだ。

また、受刑者たちの更生を促すプログラムの一環でもこの視点取得のトレーニングが取り入れられている(弁護士ドットコム 2020.1.15)

受刑者同士がそれぞれ「加害者役」「被害者役」になりきってロールプレイングをするのだという。

被害者の視点に立つことで目をそむけていた自分の加害行為に向き合えるようになるようだ。

もちろん、一朝一夕で視点取得の能力を高められるわけではない。

しかし、透明性の錯覚を避けるためにも、少なくともいったん自分の視点から離れることを意識してみる。

ちょうど幽体離脱して自分と他者を見下ろすイメージだ。

その上で他者の視点を取得することを実践してみる。

互いを理解し合うのに何がネックになっているか、どこにボタンの掛け違いがあるのかが見えてくるかもしれない。

エンパシー
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そうした積み重ねが透明性の錯覚によるミスコミュニケーションを減らすことにもつながるだろう。

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