日常やビジネスのコミュニケーションにおいて、言葉や論理だけでは人の心を動かしきれないことは少なくない。
本稿では、人間の思考や判断が身体経験に根ざして形成される「イメージスキーマ」に着目。
40種類以上ものスキーマを解説し、その構造や特徴、説得力を高めるメカニズムを整理する。
身近な比喩から広告コピーやコーチングまで応用例を交え、身体性認知を踏まえた言葉選びの戦略が手早く理解できるはずだ。
1.はじめに ―コミュニケーションも身体が資本である
「イメージスキーマ」をご存じだろうか。
認知言語学という、人間の言語と心の関係を研究する学問における主要な概念の一つである。
専門的で難解な理論に思えるかもしれないが、実際には私たちの日常の生活やビジネスにおけるコミュニケーションに密接に関わっている。
日本語の類別詞「一本」を例にするとわかりやすい。
鉛筆やろうそく、ロープのような細く長い物体を数えるときに「一本」と言うのは自然である。
ところが、野球のヒットや映画、注射、電話といった出来事や経験についても「一本のヒット」「映画一本」「注射一本」「電話一本」と表現することがある。
ここでは、実際に手に取れる形があるわけではないのに、私たちは身体感覚に基づいた「細く長いもの」というイメージを無意識に働かせている。
このような「言葉の背後で働く感覚の型」を、認知言語学では イメージスキーマ と呼ぶ。
そもそも「スキーマ」とは、繰り返しの経験から頭の中にできあがる“知覚や思考の枠組み”を指す言葉である。
つまり私たちのコミュニケーションは、抽象的な概念をやりとりしているように見えて、実際には身体の経験を資本として成り立っているのである。
本稿では、その代表的なイメージスキーマを40種類以上整理して紹介し、初めて学ぶ読者にも「なるほど」と直感できるように解説していく。
2.イメージスキーマとは何か
イメージスキーマとは、人間が幼少期から繰り返し体験する身体的な経験に基づいて形成される、認知の基本的な「型」である。
ここでいう「イメージ」は、視覚的な絵や図ではなく、触覚・聴覚・運動感覚を含む多感覚的な経験の抽象パターンを指す。
たとえば、赤ん坊は何度も「容器に物を入れる」「容器から物を取り出す」という経験を重ねる。

その結果、「内側」「外側」「境界」といった関係が、具体的な容器の種類(箱か、カップか、袋か)を超えて共通のパターンとして頭の中に刻まれる。
この「内と外の区別」が CONTAINER(容器)スキーマ と呼ばれるイメージスキーマである。
同じように、重力のもとで物が上から下へ落ちる経験は「上下の非対称性」というパターンを形成し、歩いたり這ったりする移動の経験は「起点から経路を経て目標に到達する」という構造をつくる。

こうして、身体的な体験の中から繰り返し現れる関係性が抽出され、後の思考や言語の基盤となる。
重要なのは、イメージスキーマが「個別の事例の記憶」ではない点である。
具体的な箱やカップの色・形は捨象され、そこから抽出された構造的なパターンだけが残る。
これを認知言語学では「図式化」と呼ぶ。
つまり、経験の細部を切り捨てて本質的な骨格を残すことで、他の場面や抽象的な思考にも転用できるようになるのだ。
このように、イメージスキーマは人間の思考や言語に見えない土台を提供している。
私たちは複雑な概念を扱うときでさえ、無意識のうちに身体経験から得られたスキーマを拠り所にしているのである。
3.イメージスキーマと身体性認知との関係とは?
イメージスキーマが重要なのは、それが単なる言語のパターンではなく、人間の「身体性認知」と直結している点にある。
身体性認知とは、人間の思考や理解が抽象的な頭脳の働きだけでなく、身体の感覚・運動経験に深く根ざしているという考え方である。
たとえば「気分が上がる」「落ち込む」といった表現には、上下スキーマが感情の経験を形づくっていることが表れている。
私たちは実際に「心」が物理的に上下するのを見ているわけではない。
それでも、身体が重力下で上下を強烈に感じるために、その構造が感情の表現にも自然に投影されるのだ。
また「正しい道を進む」「道を誤る」といった表現は、歩行や移動の経験から形成された SOURCE–PATH–GOAL(起点‐経路‐目標)スキーマが、倫理観や人生観にまで拡張されている好例である。
人は「進む」「立ち止まる」「道を外れる」といった身体的移動の経験をもとに、抽象的な価値判断や意思決定を理解する。
このように、身体性認知の観点から見ると、イメージスキーマは「身体経験の骨格が思考や言語に反映したもの」と位置づけられる。
赤ん坊の頃に繰り返された「持ち上げる」「入れる」「進む」といった感覚運動的な体験が、やがては政治のスローガンやビジネスのコピーにまで痕跡を残す。
言い換えれば、イメージスキーマは人間が世界を理解するための最小単位の構造であり、身体性認知はその背景理論である。
両者は不可分であり、身体をもたない思考や言語は存在しえない。
4.イメージスキーマの種類:全体像をつかむ
イメージスキーマは、認知言語学の重要な基盤概念でありながら、その分類方法や名称は研究者によって揺れがある。
つまり「これが唯一の正しいリスト」というものは存在しない。
本稿では、入門的な理解の助けとなるよう、Evans & Green(2006)がまとめたリストを紹介する。
このリストは網羅性と体系性が高く、イメージスキーマの全体像をつかむための出発点として適している。
ただし、これが決定版ではなく、研究の立場によって異なる整理がありうる点には注意しておきたい。
Evans & Green(2006)のリストは、大きく8つのカテゴリーに分けられ、それぞれに複数のイメージスキーマが含まれている。
以下にその全容を示す。
なお、リスト全体はテキスト形式でも公開されており、信頼性の高い整理版をcleanlanguage.com/embodied-schema/ で参照できる。
各イメージスキーマの日本語訳については、『認知言語学大事典』(辻幸夫編集主幹、楠見孝ほか編集、朝倉書店、2019年10月刊)に基づき採用している。
- 空間 (SPACE)
- 上下 (UP-DOWN)、前後 (FRONT-BACK)、左右 (LEFT-RIGHT)、遠近 (NEAR-FAR)、中心周辺 (CENTER-PERIPHERY)、接触 (CONTACT)、直線 (STRAIGHT)、垂直 (VERTICALITY)
- 包含 (CONTAINMENT)
- 容器 (CONTAINER)、内外 (IN-OUT)、表面 (SURFACE)、満空 (FULL-EMPTY)、内容 (CONTENT)
- 移動 (LOCOMOTION)
- 速度 (MOMENTUM)、起点/経路/目標 (SOURCE-PATH-GOAL)
- 均衡 (BALANCE)
- 軸均衡 (AXIS BALANCE)、両天秤均衡 (TWIN-PAN BALANCE)、点均衡 (POINT BALANCE)、物理的力の均衡 (EQUILIBRIUM)
- 力 (FORCE)
- 強制 (COMPULSION)、妨害 (BLOCKAGE)、対抗力 (COUNTERFORCE)、迂回 (DIVERSION)、障害の除去 (REMOVAL OF RESTRAINT)、力の可能化 (ENABLEMENT)、牽引 (ATTRACTION)、抵抗 (RESISTANCE)
- 統一・多数(性) (UNITY-MULTIPLICITY)
- 融合 (MERGING)、集積 (COLLECTION)、分離 (SPLITTING)、反復 (ITERATION)、部分全体 (PART-WHOLE)、個体集合 (COUNT-MASS)、リンク (LINK(AGE))
- 同化 (IDENTITY)
- 調和 (MATCHING)、重ね合わせ (SUPERIMPOSITION)
- 存在 (EXISTENCE)
- 除去 (REMOVAL)、境界線のある空間 (BOUNDED SPACE)、循環 (CYCLE)、対象 (OBJECT)、過程 (PROCESS)
このように、イメージスキーマは多様でありながら、体系的に整理することで見通しが立つ。
次章では、それぞれのスキーマがどのような身体経験に根ざし、どのように私たちの認知や言語を形づくっているのかを、具体的に確認していく。
5.「代表的なイメージスキーマ:日常とビジネスに息づく認知の型
これまでイメージスキーマの基本的な仕組みを確認してきた。
では、実際にどのようなスキーマがあり、私たちの日常やビジネスの思考に息づいているのか。
以下では代表的なパターンを取り上げ、身体経験とどのように結びつき、どんな表現や発想を支えているのかを具体的に見ていく。
5-1.容器 (CONTAINER)スキーマ
私たちは重力のある世界に生きている。
私たちは日常の中で「内側」「境界」「外側」という区別を自然に行っている。
コーヒーカップに液体が入る、カバンから物を取り出す、といった経験は誰もが繰り返し体験してきたことだ。
この「何かが入る/出る」という身体的経験が、言語における容器スキーマの基盤になっている。
たとえば私たちは「会議に参加する」「グループから外れる」「情報を頭に入れる」といった表現を日常的に使っている。
ここでは会議やグループ、さらには「頭の中」といった抽象的なものが、あたかも“容器”のように捉えられている。
つまり、「外から内へ」「内から外へ」という空間的イメージが、そのまま言語表現に写し取られているのである。
ビジネスの場面を考えてみても、「仲間に入れる」「メンバーから外れる」「市場に参入する」「市場から撤退する」といった言い回しは、容器スキーマに支えられている。
対象を「中に含めるのか、外に置くのか」という発想は、納得感や当事者意識を大きく左右する。
言い換えれば、容器スキーマは私たちが「誰とともにいるのか」「どこに属しているのか」という枠組みを理解するための基礎的な型となっている。
容器スキーマは、ただ物理的な器のイメージにとどまらない。
人間関係、組織、情報、感情といった抽象的領域にも拡張され、言葉選びやメッセージ設計に深く影響を及ぼしているのである。
5-2.上下(UP–DOWN)スキーマ
私たちは重力のある世界に生きている。
そのため「上」と「下」の区別は、生まれてから絶えず繰り返し体験してきた感覚である。
立ち上がる、倒れる、落とす、持ち上げる──こうした日常の身体経験が、上下スキーマの基盤となっている。
このスキーマは言語表現の中に深く刻み込まれている。
「気分が上がる」「成績が下がる」「地位が高い」「士気が落ちる」など、心理状態や社会的評価を上下で言い表すのは自然なことだ。
さらに重要なのは、私たちが「量」を上下で理解している点である。
液体をコップに注ぐと水位が“上がる”、米びつから米を使えば残量が“下がる”。
こうした身体経験の繰り返しによって、「多い=上」「少ない=下」という対応関係が強固に結びついている。
ビジネスの現場でも上下スキーマは不可欠だ。
「売上が伸びる」「コストが下がる」「業績が高水準にある」「離職率が低い」といった言い回しは、聞き手に即座に状況をイメージさせ、納得を促す。
数字や成果を伝える際に“上下”の枠組みを使うことは、理解の速さや記憶の定着に直結している。
上下スキーマは、重力に縛られた身体生活そのものに根を下ろしている。
だからこそ、その比喩的拡張は誰にとっても直感的で、説得力を持ちうるのである。
5-3.起点–経路–目標(SOURCE–PATH–GOAL)スキーマ
私たちは日常的に「ある場所から別の場所へ移動する」という経験を繰り返している。
家を出て駅へ向かい、そこから会社に行く。
買い物に行き、品物を持って帰宅する。
こうした一連の移動体験が、起点–経路–目標スキーマの基盤を形づくっている。
そこでは「出発点(source)」「通る道筋(path)」「到達点(goal)」という構造が常に意識される。
このスキーマは、時間的・抽象的な事柄の理解にも比喩的に拡張されている。
「キャリアの道のり」「ゴールに向けて努力する」「進捗が遅れている」といった表現は、すべて移動経験の枠組みを借りている。
私たちは、目標達成や成長過程といった抽象的な出来事を「旅」に見立てることで把握しているのである。
ビジネスの場面でも、このスキーマは極めて有効である。
「プロジェクトのスタート地点」「中間マイルストーン」「最終ゴール」といった言い回しは、聞き手に進行状況を直感的に理解させる。
さらには「道を外す」「行き詰まる」「方向転換する」といった表現も、起点–経路–目標スキーマを前提にしており、組織の状況や方針を共有するのに役立つ。
このスキーマの強みは、身体的移動の構造がそのまま概念理解の枠組みとして機能する点にある。
移動経験は誰にとっても普遍的であり、その繰り返しが言語表現に深く染み込んでいる。
だからこそ、抽象的なプロセスを「旅」として語ることは、相手の理解を助け、記憶に残りやすいのである。
5-4.力(FORCE)スキーマ
私たちは日々、力を与えたり受けたりしている。
ドアを押して開ける、重い荷物を引っ張る、壁にぶつかって止まる──こうした身体経験がそのまま「力スキーマ」を形づくる。
そこでは「押す」「引く」「抵抗する」「妨げる」といった基本的な相互作用が繰り返し体験されている。
このスキーマは言語にも深く入り込んでいる。
「計画を押し進める」「抵抗にあう」「障害を乗り越える」「軌道を修正する」といった表現は、力の相互作用を比喩的に拡張したものである。
つまり、物理的な力のやり取りが、そのまま抽象的な出来事や人間関係の理解を支える枠組みになっているのである。
ビジネス場面では、力スキーマはとりわけ説得力を持つ。
「競合の妨害」「市場の牽引力」「プロジェクトを推進する」「抵抗勢力を抑える」といった言葉がすぐに思い浮かぶだろう。
これらは単なる比喩表現ではなく、身体で繰り返し経験してきた力の相互作用に根ざしているため、聞き手に強い実感を伴って伝わる。
力スキーマの興味深い点は、単なる物理的動作にとどまらず、抽象的な課題解決の思考法とも結びつくところにある。
「正面から突破できなければ、迂回する」「抵抗が強ければ、力を分散させる」といった発想も、まさに力のスキーマを応用した思考パターンである。
身体経験としての「押す・引く・抵抗する」があるからこそ、私たちは抽象的な問題にも「力学」としてアプローチできる。
力スキーマは、身体感覚と認知の橋渡しをする、最もパワフルなイメージスキーマのひとつなのである。
5-5.均衡(BALANCE)スキーマ
私たちの身体は常に重力にさらされている。
立つ、歩く、座る──そのすべては「バランスを保つ」という無意識の営みに支えられている。
片足立ちでふらつくときや、重い荷物を持つと体の重心を調整する感覚は、均衡スキーマの最も直接的な体験である。
この身体感覚は、そのまま言語表現に映し出される。
「バランスのとれた食事」「均衡の崩れた人間関係」「力の均衡を保つ」「バランス感覚のある発言」など、私たちは物理的な安定・不安定を、社会的・心理的な状況理解に拡張している。
ここでは「均衡が崩れる=不安定」「均衡を保つ=安定」という身体経験に根ざした二分法が、抽象的な概念の理解を導いている。
ビジネスにおいても均衡スキーマは頻繁に用いられる。
「リスクとリターンのバランス」「供給と需要の均衡」「ワークライフバランス」といった表現は、すべて身体的なバランス感覚を下敷きにしている。
だからこそ直感的で説得力があり、聞き手に即座の理解をもたらす。
さらに均衡スキーマは、単なる比喩表現にとどまらない。
私たちは課題解決や意思決定の場面でも、無意識に「釣り合いをとる」発想を採用している。
選択肢を比較し、利害を調整し、最適な落としどころを探る思考パターンは、身体で獲得したバランス感覚をそのまま抽象化したものと言える。
均衡スキーマは「安定か不安定か」という身体的な境界を基盤とし、物理的にも社会的にも「持続可能な状態」を見極める力を与えている。
身体が重力に抗して立つ経験こそが、私たちの思考とコミュニケーションの中核にあるのである。
6.イメージスキーマの種類
イメージスキーマは私たちの思考や言語を支える基本単位であり、Evans & Green(2006)はそれを8つの大分類・43項目に整理している。
本章ではこの全てのスキーマを取り上げ、(1)基本的な意味、(2)比喩的な拡張の例、(3)熟語や慣用表現での具体的な用法、(4)身体経験に基づく形成の背景を順に解説する。
こうした体系的な把握を通じて、日常的に使われる言葉や表現の背後に、身体感覚に根ざした「思考の型」がどのように働いているかが見えてくるだろう。
6-1.空間(SPACE)
人間は常に空間の中で身体を動かし、物を見て、触れて、位置づけながら生きている。
こうした身体的・感覚的経験は、言語や思考の深層にまで浸透し、空間的なイメージスキーマとして抽象化されるものである。
「空間(SPACE)」に分類されるイメージスキーマは、私たちが世界をどのように構造化し、どのように意味づけるかに深く関わっている。
上下・前後・左右といった方向性、遠近・中心周辺といった位置関係、接触・直線・垂直といった運動や構造の感覚は、単なる物理的認識にとどまらず、社会的・心理的・文化的な意味へと拡張されるものである。
このセクションでは、空間的スキーマがどのように身体経験に根ざしているか、またそれがどのように比喩的に拡張されているかを、具体的な事例とともに解説する。
空間の感覚は、私たちの言語表現や価値判断、さらには世界観の形成にまで影響を与えている構造であり、それを体系的に捉えることが重要である。
- 比喩的拡張の例
- 量や価値
- 「物価が上がる/下がる」「成績が落ちる」
- 感情・状態
- 「気分が上がる」「落ち込む」「ハイテンション」
- 社会的序列
- 「上司」「下っ端」「見下す」
- 量や価値
- 熟語・慣用表現
- 上昇/下落/高評価/低評価/気分が上がる/意気消沈
重力に抗って立ち、従って倒れるという繰り返しの経験を通じて、「上=努力・上昇」「下=喪失・下降」という感覚を獲得。
数量や感情、社会的序列の理解へと拡張された。
- 比喩的拡張の例
- 時間
- 未来=前(「前途有望」)、過去=後ろ(「後戻りする」)
- 行動
- 「前進する」「後退する」「後れを取る」
- 社会的立場
- 「優位(前例)」「劣位(後列)」
- 時間
- 熟語・慣用表現
- 前向き/後ろ向き/前進・後退/後れを取る/後ろめたい
人は目が前についており、常に前方に向かって歩く。
この経験を通じて「前」は進行・未来・積極性と、「後ろ」は過去・遅延・消極性と結びついた。
- 比喩的拡張の例
- 方向・進路
- 「右に進む」「左折する」
- 価値判断・評価
- 「正しい(right)」「左遷される」「右腕」
- 社会・政治
- 「右派/左派」「右傾化」「左翼」
- 力関係
- 「左右する」「右に出る者はいない」
- 方向・進路
- 熟語・慣用表現
- 右往左往/右肩上がり/右手にする(手に入れる)/左手で扱う(軽視する)/左前
利き手の優位性が「左右」に意味を付与し、空間認識や社会的比喩へ投影された。
- 比喩的拡張の例
- 時間
- 「近い未来」「遠い将来」
- 人間関係
- 「親しい(近い)」「疎遠」
- 価値・重要度
- 「身近な問題」「遠い存在」
- 理解・把握
- 「理解に近づく」「現実から遠ざかる」
- 時間
- 熟語・慣用表現
- 親近感/遠ざかる/身近な問題/近道/遠い目/距離を置く
近い対象は手が届き関与できるが、遠い対象は届かず関与しにくい。
この繰り返しの経験から、「近=関与・親密」「遠=疎遠・困難」という抽象的理解が形成された。
- 比喩的拡張の例
- 注目・重要性
- 「話の中心」「核心を突く」「周辺的な問題」
- 権力・地位
- 「中央集権」「中心人物」「辺境に追いやられる」
- 社会・文化
- 「都市と周縁」「メインストリームとアウトサイダー」
- 心理・関心
- 「心の中心にある」「周辺的な関心」
- 注目・重要性
- 熟語・慣用表現
- 核心を突く/注目の的/焦点を当てる/周辺情報/蚊帳の外
人は身体の安定を重心で保ち、視覚では注視点が中心にあり周囲がぼやける。
この「中心が安定・鮮明で、周辺は不安定・曖昧」という経験が、社会的地位の優劣や物事の重要度を理解する枠組みに転化した。
- 比喩的拡張の例
- 交流・関係
- 「人と接触する」「接点を持つ」「触れ合いの場」
- 影響・作用
- 「外圧に触れる」「刺激を受ける」「触発される」
- 禁止・制約
- 「禁じられた領域に触れる」「逆鱗に触れる」
- 親密さ・感情
- 「心に触れる」「感動を与える」「触れ合う」
- 交流・関係
- 熟語・慣用表現
- 接触事故/接点/連絡を取る/心に触れる/摩擦を生じる/一触即発
人は生まれてすぐに肌の接触を通じて安心や関係性を学び、成長とともに「握る」「押す」「当たる」などの経験を重ねる。
こうした直接的な触覚体験が、「接触=関係の始まり・影響の伝達」として抽象化され、社会的交流や心理的作用を表す枠組みに拡張されていった。
- 比喩的拡張の例
- 誠実さ
- 「真っ直ぐな人」「裏表がない」
- 効率性
- 「一直線に進む」「回り道しない」
- 論理性
- 「筋が通る」「単刀直入」
- 誠実さ
- 熟語・慣用表現
- 一直線/真っ直ぐな性格/筋が通る/単刀直入
目的地に向かって直線的に進む経験を通じて、直線は効率や誠実さ、論理性を象徴する感覚として身についた。
- 比喩的拡張の例
- 挑戦・達成
- 「頂点を目指す」「高みを目指す」「頂上決戦」
- 危険・不安定
- 「崖っぷち」「危ういバランス」「転落のリスク」
- 支え・安定
- 「柱となる人物」「足場を固める」「支えがある安心感」
- 権威・序列
- 「頂点に立つ」「上層部」「高い地位」
- 挑戦・達成
- 熟語・慣用表現
- 立ち上がる/支柱/天井/直立不動/地に足が着く/縦のつながり/垂直統合
人は立つとき、登るとき、物を吊るすときに、常に垂直方向の安定と不安定を体感する。
- 高い場所に立てば緊張し、足場や支えがあれば安心できる。
- 倒れる・落ちる経験は、垂直方向の危うさを刻み込む。
こうした繰り返しにより、「垂直=挑戦や不安定さ」と「支え=安定や安心」という感覚が結びつき、心理的・社会的な比喩へと拡張されていった。
6-2.包含 (CONTAINMENT)
人間は日常的に、物を入れる・出す・閉じ込める・満たすといった動作を繰り返しながら生活している。
こうした身体的経験は、空間の境界や内外の区別に対する感覚を形成し、認知の深層において「包含(CONTAINMENT)」というイメージスキーマとして抽象化される。
包含スキーマは、物理的な容器の内外に限らず、心・身体・関係・文化・情報など、あらゆる領域において「何かが何かの中にある」という構造を意味づける枠組みである。
私たちは、感情を「心にしまう」「胸に秘める」と表現し、知識を「頭に入れる」「情報を取り込む」と捉える。
これらはすべて、包含スキーマの比喩的拡張に基づいている。
このセクションでは、包含スキーマがどのように身体経験に根ざし、どのように言語・思考・社会的意味へと拡張されているかを、具体的な事例とともに解説する。
内と外の境界をどう認識し、何を“中にあるもの”として扱うかは、私たちの世界理解や自己理解に深く関わっている。
包含という構造が、認知・感情・関係性の形成にどのような影響を与えているかを、体系的に捉えていく。
- 比喩的拡張の例
- 状態・状況
- 「恋に落ちる」「危険に陥る」「渦中にある」
- 領域・範囲
- 「予算の範囲内」「法学の分野で」
- 時間
- 「休日期間中」「一時間の枠内で」
- 状態・状況
- 熟語・慣用表現
- 範囲内/枠に収まる/器が大きい/箱入り娘
物を容器に入れる・出す経験から「内と外」で世界を捉える感覚が育ち、状況・時間・心理など抽象領域へ拡張された。
- 比喩的拡張の例
- 所属・排除
- 「内輪の話」「部外者」
- 心理・感情
- 「心の内」「外面だけの印象」「感情を表に出す」
- 情報・機密
- 「内部情報」「門外不出」
- 所属・排除
- 熟語・慣用表現
- 内輪/部外者/外圧/内向的/アウトロー
家や仲間の内にいると守られ安心し、外に出ると孤立や不安を感じる。
この体験から「内=所属・安全」「外=排除・不安」という理解が定着した。
- 比喩的拡張の例
- 深さ・本質
- 「表面だけの付き合い」「深層心理」(表面=浅い、上辺)
- 問題・現象
- 「問題が表面化する」「水面下で動く」「氷山の一角」
- 感情・態度
- 「平静を装う」「感情が顔に出る」
- 接触点・媒介
- 「文化の接触面」(異文化の交わるところ)「社会と個人の接点」
- 深さ・本質
- 熟語・慣用表現
- 表面上/うわべだけ/水面下/表面化/深く掘り下げる
物に触れるとまず表面に出会い、奥に本質が隠れている経験から「表面=外見」「内部=本質」という比喩が生まれた。
- 比喩的拡張の例
- 感情・精神
- 「心が満たされる」「希望に満ちあふれる」「虚しい気持ち」
- 時間・空間
- 「予定が詰まっている」「空き時間」「満員電車」「満席」「がらんどうの駅」
- 知識・能力
- 「能力が満ちている」「内容が空っぽ」「充実した経験」
- 感情・精神
- 熟語・慣用表現
- 満員/空虚/充実/満腹/枯渇
食べたり飲んだりして「満ちる・空になる」感覚や、容器の中身の増減を目にする経験を通じて、「満=充足・豊かさ」「空=欠如・不足」という抽象的な理解が形成された。
- 比喩的拡張の例
- 本質・実質
- 「内容のない議論」「中身のある人」「本質」
- 情報・知識
- 「手紙の内容」「コンテンツ」
- 感情・意図
- 「愛情のこもった言葉」「怒りを含む視線」
- 本質・実質
- 熟語・慣用表現
- 内容が濃い/中身がある/愛のこもった~/内面を磨く/議論の中身
箱や器の外見が同じでも、中身によって価値や意味が変わるという経験を通じ、「外形」と「中身」を区別して捉える感覚が形成され、情報や感情、人格などの「本質」を語る比喩へと広がった。
6-3.移動 (LOCOMOTION)
人間は生まれてから絶えず身体を動かし、歩き、走り、方向を変えながら空間を移動している。
こうした移動経験は、単なる運動能力にとどまらず、「どこから始まり、どこへ向かい、どのように進むか」といった構造的な認知を形成し、「移動(LOCOMOTION)」というイメージスキーマとして抽象化される。
移動スキーマは、私たちが世界をどのように進み、変化し、達成していくかという認識に深く関わっている。
出発点から目的地へ向かうという身体的経験は、目標達成・成長・変容といった抽象的概念の理解にも応用される。
さらに、移動の途中には、加速や停滞、分岐や迂回といった変化が伴うことも多く、これらは人生や思考のプロセスを語る際の比喩として頻繁に用いられる。
このセクションでは、移動スキーマの中核をなす4つの構成要素——速度(MOMENTUM)、起点(SOURCE)、経路(PATH)、目標(GOAL)——に焦点を当て、それらがどのように身体経験に根ざし、どのように比喩的に拡張されているかを具体的な事例とともに解説する。
移動という構造が、私たちの行動・感情・価値判断、さらには自己理解や他者との関係性にまで影響していることを、体系的に捉えていく。
- 比喩的拡張の例
- 進行・展開
- 「仕事に弾みがつく」「惰性で続く」「急成長」
- 社会的潮流
- 「時代の流れに乗る」「失速する運動」挽回できないほどの遅れ」
- 心理・感情
- 「やる気が加速する」「感情が暴走する」「気持ちが乗ってきた」
- 進行・展開
- 熟語・慣用表現
- 勢いに乗る/勢い余る/暴走する/流れを止める/ブレーキをかける/モメンタム
重い物を押し始める時は大きな力が要るが、一度動き出すと勢いがつき、急に止めるのは難しい。
この身体経験から、「勢い=進行の加速」「停止=強い制御や抵抗が必要」という感覚が生まれ、物事の展開や心理状態を表す比喩に拡張された。
- 比喩的拡張の例
- 原因・起源
- 「問題の根源」「情報源」「地震の震源」
- 出身・由来
- 「名家の出」「ドイツ発の技術」
- 出発・開始
- 「出発点」「起点に立つ」「源流」
- 原因・起源
- 熟語・慣用表現
- 源泉/起源/素性/発信元/元をたどる/温床
移動には必ず「出発点」があり、川には「源」がある。
こうした経験を通じて、「すべての出来事には起点がある」という概念が身体に染み込み、原因や起源を語る枠組みとして拡張された。
- 比喩的拡張の例
- 方法・手段
- 「成功への道」「最短ルートで答える」「経路を迂回する」
- 過程・進捗
- 「人生の岐路」「キャリアパス」「手順を踏む」
- 方針・生き方
- 「自分の道を進む」「正道を行く」
- 方法・手段
- 熟語・慣用表現
- 道筋/順路/過程/経過/手段/生き方/近道/王道
同じ目的地でも、直線・回り道・景色のよい道など多様な経路がある。
この経験から「物事を達成するには複数の方法や過程がある」という比喩的思考が形成された。
- 比喩的拡張の例
- 目的・到達点
- 「人生の目標」「目的地に到着する」「達成可能なゴール」
- 結論・結果
- 「議論の帰結」「結論に達する」「話のオチ」
- 願望・理想
- 「理想像」「目指すべき姿」
- 目的・到達点
- 熟語・慣用表現
- 目的地/到達点/目的/目標点/ゴール/終点/結末
幼児は「欲しいものに手を伸ばす」「人に近づく」などの経験を通じて、出発点から目標へ進む感覚を身につける。
この身体経験が、「行為は目標に向かう」という抽象的理解の核をつくり、SOURCE–PATH–GOALの枠組みとして定着した。
6-4.均衡 (BALANCE)
人間は日常的に、立つ・歩く・持つ・支えるといった動作の中で、重心を保ち、力の釣り合いを取りながら身体を制御している。
こうした身体的経験は、安定と不安定、調和と偏りといった感覚を形成し、認知の深層において「均衡(BALANCE)」というイメージスキーマとして抽象化される。
均衡スキーマは、物理的な重力の釣り合いに限らず、感情・思考・関係・社会構造など、あらゆる領域において「バランスが取れている/崩れている」という構造を意味づける枠組みである。
具体例として、身体経験に根ざした均衡のかたちは以下の通りである:
- 軸均衡(AXIS BALANCE):左右の釣り合いを保つ中心軸に基づく均衡
- 両天秤均衡(TWIN-PAN BALANCE):二項を比較して判断する均衡
- 点均衡(POINT BALANCE):一点で支える緊張状態を示す均衡
- 物理的力の均衡(EQUILIBRIUM):複数の力が拮抗して静止する状態
私たちは、「気持ちのバランスが崩れる」「均衡を保つ」「偏りがある」「天秤にかける」「ギリギリの均衡」といった表現を用いて、抽象的な状態を身体的な釣り合いの感覚で捉えている。
これらはすべて、均衡スキーマの比喩的拡張に基づいている。
このセクションでは、均衡スキーマがどのように身体経験に根ざし、どのように言語・思考・社会的意味へと拡張されているかを、4つのタイプの均衡スキーマを通じて具体的に解説する。
安定と不安定の感覚が、私たちの感情調整・意思決定・対人関係の構築にどのような影響を与えているかを、体系的に捉えていく。
- 比喩的拡張の例
- 正義・公平
- 「天秤にかける」「バランスの取れた判断」「中立の立場」
- 調和・安定
- 「左右のバランス感覚」「心の均衡を保つ」
- 選択・比較
- 「利害を天秤にかける」「二者択一」「損得の釣り合い」
- 道徳・価値判断
- 「公正さを保つ」「偏らない判断」
- 正義・公平
- 熟語・慣用表現
- 天秤/平衡感覚/公正無私/偏りがない/体幹がしっかりする
シーソーや姿勢制御の体験を通じて、「中心の軸を基準に釣り合いを保つ」感覚が育つ。
これが拡張され、「公平」「調和」を判断する抽象的枠組みとして働くようになった。
- 比喩的拡張の例
- 比較・判断
- 「利害を天秤にかける」「二者の優劣をはかる」
- 交渉・取引
- 「条件を天秤にかけて決める」「ギブ・アンド・テイク」
- 選択の葛藤
- 「愛と義務の間で揺れる」「二つの選択肢を秤にかける」
- 価値の評価
- 「価格と品質のバランス」「リスクとリターンの均衡」
- 比較・判断
- 熟語・慣用表現
- 天秤にかける/利害得失/損得勘定/比較衡量/両天秤
天秤を使ったり、両手に物を持って重さを比べたりする体験から「二つを比較して釣り合いを見る」感覚が形成される。
これが拡張され、意思決定や価値評価の枠組みとして機能する。
- 比喩的拡張の例
- 危うい安定
- 「綱渡りのような状況」「ギリギリの均衡」
- 緊張・臨界点
- 「崖っぷちに立つ」「バランスを崩す寸前」
- 集中・要点
- 「一点に心を集中する」「支点となる発想」
- 危うい安定
- 熟語・慣用表現
- 綱渡り/危うい均衡/瀬戸際/風前の灯火/絶妙なバランス
棒を立てて遊ぶ、片足で立つといった経験を通じて、「均衡が一点に依存する不安定さ」を理解する。
そこから、ビジネスや人間関係におけるリスクや臨界状態の比喩へと拡張される。
- 比喩的拡張の例
- 安定・調和
- 「均衡を保つ」「社会の安定」「バランスの取れた関係」
- 緊張関係
- 「勢力均衡」「軍事的バランス」「力の拮抗」
- 公平性・中立性
- 「力の偏りがない」「均衡ある判断」
- 動的平衡
- 「変化しながら安定を維持する」「生態系のバランス」
- 安定・調和
- 熟語・慣用表現
- 勢力均衡/拮抗する/安定を保つ/バランスを取る/膠着状態
立つときの姿勢や、物体が倒れず静止する様子を通じて「力が釣り合えば安定する」という感覚を得る。
これが拡張され、社会や自然現象においても「均衡=安定の前提」と理解されるようになる。
6-5.力 (FORCE)
人間は日常的に、押す・引く・持ち上げる・ぶつかる・耐えるといった動作を通じて、物理的な力の作用と反作用を経験している。
こうした身体的経験は、物体間の相互作用や運動の変化に対する感覚を形成し、認知の深層において「力(FORCE)」というイメージスキーマとして抽象化される。
力スキーマは、物理的な衝突や抵抗に限らず、感情・関係・社会的状況など、あらゆる領域において「何かが何かに働きかける/影響を与える」という構造を意味づける枠組みである。
たとえば、力のかたちは次のように多様である:
- 強制(COMPULSION):外部からの圧力に屈する
- 妨害(BLOCKAGE):進行を遮る
- 対抗力(COUNTERFORCE):妨害に抗する
- 迂回(DIVERSION):障害を避ける
- 除去(REMOVAL OF RESTRAINT):障害を取り除く
- 可能化(ENABLEMENT):行動を可能にする支援
- 牽引(ATTRACTION):対象を引き寄せる
- 抵抗(RESISTANCE):外力に抗して踏ん張る
私たちは、「心を動かす」「圧力を感じる」「衝突する」「押し通す」「引き寄せられる」「踏ん張る」といった表現を用いて、抽象的な状況を力の作用として捉えている。
これらはすべて、力スキーマの比喩的拡張に基づいている。
このセクションでは、力スキーマがどのように身体経験に根ざし、どのように言語・思考・社会的意味へと拡張されているかを、8つのタイプの力スキーマを通じて具体的に解説する。
力の作用と反作用という構造が、私たちの感情表現・対人関係・意思決定のダイナミクスにどのような影響を与えているかを、体系的に捉えていく。
- 比喩的拡張の例
- 権力・支配
- 「強制的に従わせる」「権力による圧迫」
- 規範・制度
- 「強制参加」「義務教育」「強制執行」
- 感情・思考
- 「やらざるを得ない」「強迫観念」「衝動に駆られる」「焦燥感にかられる」
- 社会的圧力
- 「空気に押される」「同調圧力」
- 権力・支配
- 熟語・慣用表現
- 無理やり/圧迫する/義務づける/圧力に屈する/駆り立てられる/~せざるを得ない/否応なし
子どもは、大人に押さえられる、無理に連れて行かれる経験を通じて「自分の意志とは無関係に動かされる」感覚を学ぶ。
この物理的な強制感覚は、社会的規範や集団の圧力による制約へと比喩的に拡張されていく。
- 比喩的拡張の例
- 目標達成の阻害
- 「出世の壁」「学びの壁」
- 心理的な停滞
- 「心のブロック」「気持ちが塞がる」
- 社会的・制度的障害
- 「規制に阻まれる」「制度の壁」
- 創造や流れの停滞
- 「アイデアが詰まる」「議論が行き詰まる」
- 情報・通信
- 「通信障害」「アクセス不能」
- 目標達成の阻害
- 熟語・慣用表現
- 障害物競走/阻害要因/足かせ/閉塞感/壁にぶつかる/にっちもさっちもいかない/妨害電波
人は成長の過程で、進もうとしても物理的に遮られる体験を繰り返し持つ。
この経験が、心の制約や制度の壁、情報の途絶といった広範な阻害状況に拡張される。
- 比喩的拡張の例
- 政治・社会的な動き
- 「権力に対抗する」「改革への反発勢力」「市民運動が牽制する」
- 経済・競争の場面
- 「ライバル商品の登場」「企業同士のせめぎ合い」
- 心理的・人間関係的作用
- 「同調圧力に抗う」「誘惑に抗する」「異論を唱える」
- 自然現象や環境
- 「風に逆らう」「潮流に抗う」
- 政治・社会的な動き
- 熟語・慣用表現
- 対抗策/押し返す/競り合う/迎撃する/一歩も引かない
人は、押されたり引かれたりするときに、自然と「押し返す」「踏ん張る」といった身体行動を経験する。
この身体感覚が、社会や人間関係の中で「主張を通す」「相手の意向に屈しない」といった心的・社会的な働きの理解へと広がっていった。
- 比喩的拡張の例
- 回避する力
- 「工事箇所を避けて進む」「崖を迂回する」
- 気持ちのすり替え
- 「面倒な話題を避ける」「焦点をずらす」
- 社会的な抜け道
- 「規制を回避する」「法の抜け道を使う」
- 感情・動機
- 「怒りを別の対象に向ける」「葛藤を避ける」
- 回避する力
- 熟語・慣用表現
- 回り道/迂回路/脇道に逸れる/遠回しに言う/かわす/裏をかく
進行を妨げる物理的な障害を避けて別の道を取る経験を通じ、目的達成には柔軟な方法があることを理解する。この感覚は、問題解決や社会的行動、心理的調整などに比喩的に応用される。
- 比喩的拡張の例
- 物理的除去
- 「通路を開ける」「障害物を取り除く」
- 解決・達成
- 「課題をクリアする」「目処が立つ」
- 許可・承認
- 「制限が解除される」「ゴーサインが出る」「手続きのハードルを下げる」
- 心理的・感情的解放
- 「心のもやを取り払う」「不安や迷いから解放される」
- 物理的除去
- 熟語・慣用表現
- 足かせが外れる/規制緩和/門戸が開かれる/重荷を下ろす/心のつかえが取れる
通行の妨げを実際に取り除く身体経験を通じ、目的や行動の達成には障害を除くことが必要であると理解する。この感覚は、心理的な束縛や社会的制約の解消にも比喩的に応用される。
- 比喩的拡張の例
- 支援・補助
- 「押してあげる」「手を貸す」「足場を作る」
- 能力・資源の提供
- 「道具を揃える」「必要な情報を提供する」「スキルを習得させる」
- 条件整備
- 「制度を整える」「手続きの簡略化」「環境を整える」
- 心理的後押し
- 「背中を押す」「勇気づける」「挑戦のハードルを下げる」
- 支援・補助
- 熟語・慣用表現
- 可能性を広げる/伴走する/後押しする/権限を付与する/追い風が吹く
子どもは、大人に持ち上げられる・手を取られるなどの経験を通じて、「自分の力だけではできない行為を助けられて可能になる」感覚を学ぶ。
この感覚が、社会的支援や心理的後押しの比喩に広がる。
- 比喩的拡張の例
- 物理的引力
- 「磁石に引き寄せられる」「ロープで引く」
- 人や関心の吸引
- 「人を惹きつける」「注目を集める」「人気を呼ぶ」
- 動機・意欲
- 「夢に向かって引き寄せられる」
- 影響力・誘導
- 「仲間を巻き込む」「協力を引き出す」
- 物理的引力
- 熟語・慣用表現
- 興味を引く/心惹かれる/カリスマ性/誘導する/吸引力/磁石のように
物を引き寄せる経験を通じ、「力が対象を自分の方に動かす」感覚を学ぶ。この経験が、関心や影響力に関する比喩へと拡張される。
- 比喩的拡張の例
- 物理的抵抗
- 「押し返す」「逆風に踏ん張る」「滑り止めで支える」
- 心理的抵抗
- 「心が受け入れない」「嫌悪感で拒否する」「思考や意見に抗う」
- 社会的・制度的抵抗
- 「慣習に従わない」「規制や命令に抵抗する」「反対運動」
- 意志の維持
- 「諦めずに踏ん張る」「逆境に立ち向かう」「誘惑に負けない」
- 物理的抵抗
- 熟語・慣用表現
- 抵抗勢力/心理的抵抗/耐え抜く/揺るがない/しぶとく生き残る
押される・引かれる身体経験を通じて、力に抗する感覚を学ぶ。
この感覚が、制度・環境への抵抗や困難への意志の理解に広がる。
6-6.統一・多数(性)(UNITY–MULTIPLICITY)
人間は日常的に、複数の要素をひとつにまとめる・分類する・分ける・統合するといった認知的操作を行いながら生活している。
こうした身体的・知覚的経験は、個と集合、統一と分散に対する感覚を形成し、認知の深層において「統一・多数(UNITY–MULTIPLICITY)」というイメージスキーマとして抽象化される。
スキーマは、以下の多様な構造を含んでいる。
- 融合(MERGING):異なるものが一体化する。
- 集積(COLLECTION):複数の要素を集めてまとまりをつくる。
- 分離(SPLITTING):ひとつのものを切り分ける。
- 反復(ITERATION):同じ動作や出来事を繰り返す。
- 部分全体(PART–WHOLE):部分と全体の関係を捉える。
- 個体集合(COUNT–MASS):数えられる個体と量的な集合を切り替える。
- リンク(LINK(AGE)):対象同士を結びつける。
統一・多数スキーマは、物理的な集団や構造に限らず、思考・感情・社会・文化など、あらゆる領域において「多くのものがひとつになる/ひとつが分かれる」という構造を意味づける枠組みである。
私たちは、「まとまりがある」「バラバラになる」「一体感を持つ」「分裂する」「つながりを感じる」「繰り返す」「部分的に理解する」といった表現を用いて、抽象的な状態を統合性や分散性の感覚で捉えている。
これらはすべて、統一/多数スキーマの比喩的拡張に基づいている。
このセクションでは、統一/多数スキーマがどのように身体経験に根ざし、どのように言語・思考・社会的意味へと拡張されているかを、7つの構造的バリエーションを通じて具体的に解説する。
個と集団、統合と分裂という構造が、私たちの自己認識・集団意識・価値判断にどのような影響を与えているかを、体系的に捉えていく。
- 比喩的拡張の例
- 物理的融合
- 「水と油が混じる」「色が溶け合う」「境界が消える」
- 人間関係・共同体の融合
- 「心が通じ合う」「文化が交わる」「チームが一丸となる」
- 知識・発想の融合
- 「異分野の知を統合する」「アイデアを掛け合わせる」「学際的アプローチ」
- 感情や体験の融合
- 「悲しみと喜びが入り混じる」「音楽と心が溶け合う」「没入する」
- 物理的融合
- 熟語・慣用表現
- 合意/調和する/混然一体/一体化/シナジー/ハーモニー/合コン
液体や色が混じり合って全く新しい状態をつくる体験を通じ、「異なるものが結びつくことで別の価値が生まれる」という感覚を獲得する。
この経験は、人や文化、知識の融合を理解する比喩的枠組みへと拡張される。
- 比喩的拡張の例
- 物理的集積
- 「石を積み上げる」「本を並べる」「コレクションを作る」「雲が積み重なる(積乱雲)」
- 情報やデータの集積
- 「知識を蓄積する」「資料を収集する」「ビッグデータを蓄える」
- 人や資源の集積
- 「人材を集める」「資金を集める」「人が集中する」
- 感情や経験の集積
- 「思い出を重ねる」「怒りがたまる」「信頼を積み上げる」
- 物理的集積
- 熟語・慣用表現
- 集積/蓄積/集中/集約/密集/集団/集大成/コレクション/山積み
石や物を拾い集めて積む経験から、「集まると量や厚みが増し、存在感や価値が高まる」ことを学ぶ。
そこから情報や人材の集積が成果を生むという比喩的理解につながる。
- 比喩的拡張の例
- 物理的分離
- 「リンゴを二つに割る」「道が分かれる」「細胞が分裂する」
- 概念や判断の分離
- 「問題を切り分ける」「本質と枝葉を分ける」「原因を区別する」
- 人間関係・組織の分離
- 「仲間割れする」「組織が分裂する」「派閥に分かれる」
- 感情や心理の分離
- 「善悪を白黒で分ける」「自分を切り離して考える」「私情を交えずに判断する」
- 物理的分離
- 熟語・慣用表現
- 分裂/断絶/切り離す/二分法/亀裂/枝分かれ/線引き/袂を分かつ/一刀両断
物を割る、切る、裂くといった身体経験を通じて、一つのものが二つ以上に分かれる感覚を学ぶ。
この経験が、課題の整理、組織や人間関係の断絶、感情や価値観を切り分ける思考法などに比喩的に応用される。
- 比喩的拡張の例
- 物理的反復
- 「階段を一段ずつ登る」「波が打ち寄せる」「太鼓を打ち続ける」「脈を打つ」
- 学習や熟練の反復
- 「練習を繰り返す」「暗記するまで唱える」「試行錯誤を重ねる」
- 時間・生活の反復
- 「毎朝の通勤」「日課を続ける」「四季が巡る」「周期的な現象」
- 感情や思考の反復
- 「同じ悩みを繰り返し考える」「後悔が何度もよみがえる」「思い出を反芻する」
- 物理的反復
- 熟語・慣用表現
- 頻繁/ループする/ルーティン/試行錯誤/鍛錬/積み重ね/反芻/常套句/慣習/堂々巡り
歩くときに足を交互に出す、波や鼓動が規則的に繰り返されるといった身体経験を通じ、「反復が持続や熟達を生む」ことを学ぶ。
この感覚は学習や思考の繰り返しを理解する比喩的枠組みとなる。
- 比喩的拡張の例
- 物理的構成
- 「頭から足まで」「心臓は体の要」「車の部品」「家の構造」「文の一節」
- 組織・社会
- 「チームの一員」「社会の構成要素」「国全体の課題」
- 知識・情報
- 「章と本」「要点を抜き出す」「全体像をつかむ」「部分的な理解にとどまる」
- 感情や経験
- 「喜びも悲しみも人生の一部」「全体的な印象」「細部に宿る感動」
- 物理的構成
- 熟語・慣用表現
- 一部始終/構成要素/全身全霊/全体を俯瞰する/一端を担う/パズルのピース
自分の体を部位として意識する経験や、道具・建物を部品から組み立てる経験を通じて、「部分が集まって全体を成す」感覚を学ぶ。
この経験が、組織や社会、知識や感情の理解に比喩的に応用される。
- 比喩的拡張の例
- 自然・物質
- 「砂の一粒」「水の一滴」「群れとしての魚」「森林」
- 社会・人間関係
- 「群衆」「観客の波」「社員一人ひとり」「世論という大きな流れ」
- 知識・情報
- 「データの一点」「情報の集積」「統計としての傾向」
- 感情や経験
- 「一瞬の感動」「思い出の断片」「集合的記憶」
- 自然・物質
- 熟語・慣用表現
- 一人ひとり/群集/群像/粒ぞろい/一滴の涙/一握り/大衆/集合知
米や砂を一粒ずつ扱ったり、まとめてかたまりとして扱ったりする体験を通じ、「個として数える」と「全体として量で捉える」の切り替えを学ぶ。
この経験は、社会や情報を個と集団の両面から理解する比喩的思考に応用される。
- 比喩的拡張の例
- 物理的連結
- 「鎖でつなぐ」「ひもで結ぶ」「レールがつながる」
- 情報や知識の結びつき
- 「データベースをリンクする」「因果関係を結ぶ」「文章を参照でつなぐ」
- 人間関係・社会的結合
- 「手をつなぐ」「チームを結束させる」「同盟を組む」
- 時間・出来事の連鎖
- 「過去と現在をつなぐ」「事件が連鎖する」「習慣が次の行動を導く」
- 物理的連結
- 熟語・慣用表現
- 絆/縁/紐帯/接続/結束/架け橋/因果関係/接合/リンクする
手をつなぐ、物をひもで結ぶといった経験を通じて、「対象同士が関係を持つ」感覚を学ぶ。
この経験は、情報や知識、人間関係や出来事の連鎖を理解する比喩的思考に応用される。
6-7.同化(IDENTITY)
人間は日常的に、物事の「同じさ」や「違い」を見分けながら生活している。
顔が似ている、声が同じに聞こえる、動きが揃っているといった身体的・知覚的経験は、対象の同一性や差異に対する感覚を形成し、認知の深層において「同化(IDENTITY)」というイメージスキーマとして抽象化される。
このスキーマには、形や音、動きがぴたりと一致する感覚に根ざした調和(MATCHING)や、対象同士を重ねて比較・照合する重ね合わせ(SUPERIMPOSITION)といった構造が含まれている。
私たちは、模様を揃える、声を合わせる、地図を重ねる、誰かの姿に自分を重ねるといった身体経験を通じて、「何かが何かと一致する」「重なり合う」という感覚を獲得している。
同化スキーマは、物理的な対象の一致に限らず、自己・他者・価値・文化・記憶など、あらゆる領域において「何かが何かと同じである/異なる」という構造を意味づける枠組みである。
私たちは、「自分らしさを保つ」「同じ考えを持つ」「一体感がある」「違和感を覚える」といった表現を用いて、抽象的な状態を同一性や差異の感覚で捉えている。
これらはすべて、同化スキーマの比喩的拡張に基づいている。
このセクションでは、同化スキーマがどのように身体経験に根ざし、どのように言語・思考・社会的意味へと拡張されているかを、調和と重ね合わせという2つの構造を通じて具体的に解説する。
同一性と差異の認識は、私たちの自己理解・他者との関係・文化的アイデンティティの形成に深く関わっている。
同化という構造が、認知・感情・社会的判断にどのような影響を与えているかを、体系的に捉えていく。
- 比喩的拡張の例
- 物理的な一致
- 「靴下のペアが揃う」「色がマッチする」「形がぴたりと合う」
- 感覚や美意識の調和
- 「音程が合う」「声がハモる」「デザインが統一されている」
- 人間関係や価値観の一致
- 「気が合う」「意見が一致する」「波長が合う」
- 行動や状況の適合
- 「場にふさわしい振る舞い」「資格を満たす」「タイミングが合う」
- 物理的な一致
- 熟語・慣用表現
- 符合/整合性/相性/適合/同調/マッチング/ぴったり合う/ハーモニー
形や模様を合わせる、声や動きを揃えるといった身体経験を通じて、対象同士が調和・一致する感覚を学ぶ。
この経験は、人間関係の相性や価値観の共有、美的・社会的な調和を理解する比喩的思考に応用される。
- 比喩的拡張の例
- 物理的な重なり
- 「紙を重ねる」「影と物体が重なる」「トレースする」
- 視覚的・空間的対応
- 「地図を重ね合わせて比較する」「設計図と現物を照合する」「画像をオーバーレイする」
- 思考や概念の重なり
- 「過去の経験を現在に重ねる」「理論を現実に当てはめる」「比喩を重ねる」
- 感情や人間関係の重なり
- 「誰かの姿に自分を重ねる」「映画の登場人物に自分を投影する」「親の経験を子に重ねる」
- 物理的な重なり
- 熟語・慣用表現
- 重複/照合/投影する/オーバーラップ/二重写し/ダブる/シンクロ/影を映す
物や図を重ねて形や位置を確かめる身体経験を通じて、対象同士を対応させる感覚が培われる。
そこから「複数の層が一つの空間や文脈に共存する」という抽象的な枠組みが形成され、やがて時間や記憶、概念を重ね合わせて捉える比喩的思考の源泉となった。
6-8.存在(EXISTENCE)
人間は日常的に、物や人、出来事が「そこにある」「現れる」「消える」といった状態を知覚しながら生活している。
こうした身体的・感覚的経験は、対象の有無や現前性に対する認識を形成し、認知の深層において「存在(EXISTENCE)」というイメージスキーマとして抽象化される。
このスキーマには、以下のような構造が含まれている。
- 対象(OBJECT):目の前にあるものを「これだ」と認識すること
- 過程(PROCESS):何かが現れたり消えたりする連続的な変化
- 循環(CYCLE):始まりと終わりがつながる繰り返しの構造
- 境界ある空間(BOUNDED SPACE):内と外を区切る境界線の存在
- 除去(REMOVAL):存在するものを取り除く行為
私たちは、物を手に取る、空間に入る、季節の巡りを感じる、不要なものを取り払うといった身体経験を通じて、「ある」「ない」「現れる」「消える」といった感覚を獲得している。
存在スキーマは、物理的な対象の有無に限らず、感情・記憶・価値・関係性など、あらゆる領域において「何かがある/ない」「現れる/消える」という構造を意味づける枠組みである。
私たちは、「希望がある」「不安が消えた」「存在感がある」「気配を感じる」「枠の外にいる」といった表現を用いて、抽象的な状態を“ある”か“ない”かという感覚で捉えている。
これらはすべて、存在スキーマの比喩的拡張に基づいている。
このセクションでは、存在スキーマがどのように身体経験に根ざし、どのように言語・思考・社会的意味へと拡張されているかを、5つの構造的バリエーションを通じて具体的に解説する。
何が“ある”と認識され、何が“ない”とされるかは、私たちの世界理解・価値判断・自己認識に深く関わっている。
存在という構造が、認知・感情・社会的関係の形成にどのような影響を与えているかを、体系的に捉えていく。
- 比喩的拡張の例
- 障害の排除
- 「障害を取り除く」「壁を壊す」「足かせを外す」
- 不要物の削減
- 「無駄を省く」「余計なものを削ぐ」「しがらみを捨てる」
- 感情・負担の解消
- 「心のわだかまりを払う」「重荷を下ろす」「ストレスを取り除く」
- 制約の緩和
- 「規制を緩和する」「障壁を取り払う」「縛りを解く」
- 障害の排除
- 熟語・慣用表現
- 払拭する/撤廃する/障害を克服する/浄化する/断捨離/垢が落ちる/記憶から消し去る
邪魔な物を実際に取り除いて道や視界を確保する身体経験を通じて、行為の達成には「障害を除く」発想が不可欠であることを学ぶ。
そこから心理的な束縛の解消や社会的制約の撤廃といった抽象的領域へと拡張された。
- 比喩的拡張の例
- 所属・共同体
- 「組織に属する」「チームの一員になる」「仲間内に入る」
- 制約・制限
- 「枠にはまる」「制約に縛られる」「限界の中で動く」「境界を越える発想」
- 保護・安全
- 「守られた環境」「シェルターに入る」「安全圏にいる」
- 排除・隔たり
- 「外に追いやられる」「壁を感じる」「仲間外れにされる」
- 所属・共同体
- 熟語・慣用表現
- 境界線を引く/縄張りを主張する/結界を張る/安全圏/枠組みに収まる/閉鎖的/囲い込み
壁や柵、器や箱などの「囲い」を体験することで、外と内を分ける感覚を獲得する。
それにより空間だけでなく、社会的集団や心理的領域にも「境界」を想定し、内と外の対比で物事を理解する枠組みが育まれた。
- 比喩的拡張の例
- 時間のめぐり
- 「歴史は繰り返す」「一年のサイクル」「巡り合わせ」
- 経済・社会のリズム
- 「景気循環」「流行が再来する」「ブームの再燃」
- 生命・自然の循環
- 「食物連鎖」「命のリレー」「世代交代」
- 心理・行動パターン
- 「悪循環に陥る」「習慣が繰り返される」「自己強化ループ」
- 時間のめぐり
- 熟語・慣用表現
- 周期/回帰/再生/巡り巡って/ループ/サイクル/~の輪
呼吸や心拍、昼夜や季節の移り変わりといった身体的・自然的リズムを繰り返し体験することで、「循環」の感覚を獲得する。
そこから、時間や歴史、社会現象、心理過程などへ「繰り返しの構造」を当てはめる思考が培われた。
※「過程」との違いは、一方向的な進行ではなく、閉じた輪の構造を持つ点にある。
- 比喩的拡張の例
- 物理的なもの
- 「石を拾う」「椅子に座る」「ボールを持つ」
- 知識・思考の対象
- 「研究の対象」「批判や議論の的」「問題を扱う」
- 感情や関心の的
- 「恋の対象」「憧れの対象」「敵意を向ける相手」
- 行為や操作の対象
- 「観察する対象」「攻撃する対象」「目標物を狙う」
- 物理的なもの
- 熟語・慣用表現
- 客体/的を絞る/ターゲット/目標/狙いを定める/ものにする
物を手に取り、操作し、他と区別して扱う経験を通じて、「まとまりある存在=対象」として認識する感覚を学ぶ。
その後、知識や感情、意志が向けられる抽象的な「対象」へと拡張された。
- 比喩的拡張の例
- 物理的な流れ
- 「川が流れる」「道を進む」「種が芽を出して育つ」
- 時間的な進行
- 「会議が進む」「交渉の過程」「一日の流れ」
- 変化や発展
- 「技術が進歩する」「関係が深まる」「企画が成熟する」
- 心理・学習の展開
- 「理解が進む」「成長のプロセス」「心境の変化」
- 物理的な流れ
- 熟語・慣用表現
- 進行/経過/手順/進展/変遷/段階/成熟する/途上にある
ハイハイから歩行へ移る発達や、氷が溶けて水へ変わる様子を体験することで、世界は固定的な「状態」ではなく、連続的に移り変わる「過程」であることを学ぶ。
そこから時間・成長・発展といった抽象領域へと拡張された。
※「循環」との違いは、一方向に進み戻らない構造を持つ点にある。
7.イメージスキーマが説得を強めるメカニズム
7-1.コミュニケーションは身体に根ざした認知の技術
ここまでEvans & Green(2006)は、イメージスキーマの全体像を体系的に整理し、空間・力・移動・包含・均衡など、40を超える認知構造を通じて、人間がどのように世界を理解し、意味づけているかを明らかにしてきた。
この理論を読み進めてきた読者には、イメージスキーマが単なる言語理論ではなく、日常のコミュニケーションに無色透明なかたちで溶け込んでいることが、すでに実感されているはずである。
私たちは、話すときも聞くときも、空間的な方向性や力の作用、内外の境界といった身体的感覚を、無意識のうちに言葉に織り込んでいる。
たとえば、政治家の演説や答弁に登場する定番フレーズを見てみよう。
- 「前向きに検討してまいります」
- 前後スキーマ(空間):未来志向・進行の姿勢を示す
- 「スピード感を持って対応する」
- 速度スキーマ(移動):迅速な動きのイメージを喚起する
- 「国民の皆様の声をしっかりと受け止める」
- 接触スキーマ(包含):意見との“触れ合い”を強調する表現
- 「新しい時代を切り拓いていきたい」
- 経路スキーマ(移動):現在から理想の未来への道筋を描く
- 「しっかりと対応してまいりたい」
- 抵抗スキーマ(力):問題に対する強固な抵抗力・対処力を示唆
- 「総合的に勘案して判断いたします」
- 両天秤均衡スキーマ(均衡):複数の要素を天秤にかけて公正に判断する構造
- 「党を挙げて対応する」
- 集積スキーマ(統一・多数(性)):集合体としての力を強調
- 「一票一票を大切に」
- 個体集合スキーマ(統一・多数(性)):個別の票を全体として捉える転換
- 「皆様とともに」
- 融合スキーマ(統一・多数(性)):政治家と国民が一体となる統合のイメージ
これらの表現は、具体性に乏しくとも、身体感覚に訴えることで「わかった気になる」「納得したように感じる」効果を生み出している。
つまり、イメージスキーマは、言葉の意味を補強するだけでなく、聞き手の感覚や感情に直接働きかける構造を持っている。
こうした特性は、傾聴・共感・伝達・調整といったコミュニケーション全般において有効である。
とりわけ、相手の理解や態度変容を促す「説得コミュニケーション」において、イメージスキーマは極めて重要な役割を果たす。
説得コミュニケーションとは、情報や主張を伝えるだけでなく、相手の認知・感情・行動に変化をもたらすことを目的とした対話的プロセスである。
単なる論理的説明ではなく、「感じさせる」「動かす」ことが求められる場面において、身体に根ざした言語構造は、説得の土台として機能する。
次節では、イメージスキーマがどのようなメカニズムで説得力を高めるのかを、認知科学の知見とともに具体的に見ていく。
7-2.イメージスキーマが説得を強める4つのメカニズム
ここからは、イメージスキーマがどのようにして説得力を生み出すのか、その認知的メカニズムを4つの観点から整理する。
これまで見てきたように、イメージスキーマは日常の言語表現に無意識のうちに染み込んでいる。
政治家の演説や答弁、広告コピー、日常会話に至るまで、私たちは空間・力・移動・接触といった身体的構造を言葉に乗せて使っている。
だからこそ、こうした構造を意識的に活用することで、単なる情報伝達を超えた「説得」が可能になる。
説得コミュニケーションとは、相手の理解や感情、さらには行動に変化をもたらすことを目的とした対話的プロセスである。論理だけでは人は動かない。
身体に響く言葉こそが、心を動かし、行動を促す。
以下では、イメージスキーマがその説得力を支える4つのメカニズムを見ていく。
① 概念的共鳴:深層構造への直接アクセス
人は、空間や力といった身体経験に基づくスキーマを、認知の深層に刻み込んでいる。
そこに呼応する言葉を耳にすると、意味の理解を超えて「しっくりくる」「納得できる」といった感覚が生まれる。
たとえば「議論の中心にある問題」という表現は、CENTER–PERIPHERY(中心周辺)スキーマを喚起する。
人は視覚や集団の配置を通じて「中心=重要」「周辺=付随」と認識するため、「中心にある」と言われるだけで、無意識に「これは本質だ」と感じてしまう。
このように、スキーマに沿った言葉は、論理的説明を省いても、深層の認知構造に直接アクセスする力を持っている。
② 身体的シミュレーション:言葉が動作になる
「前に進む」「壁を乗り越える」といった動詞を聞くと、脳はそれを単なる比喩としてではなく、実際の運動としてシミュレーションする。
これは「理解する」よりも「動き出す準備をする」に近い反応である。
たとえば「未来へ踏み出す一歩」という表現は、SOURCE–PATH–GOAL(起点―経路―目的地)スキーマに基づいており、聞き手の脳は“歩き出す”感覚を再現する。
これにより、行動への心理的ハードルが下がり、言葉が身体に働きかける。
説得とは、頭で納得させるだけでなく、身体を動かす準備を整えることである。
③ 感情的エンボディメント:感覚が感情を揺らす
身体感覚は、感情と密接に結びついている。
「重い責任」「軽やかな気持ち」「心が躍る」といった表現は、それぞれの感覚を通じて感情を誘発する。
たとえば「重い責任」は、FORCE(力)スキーマとBALANCE(均衡)スキーマが重なり、身体的な“重さ”の感覚を呼び起こす。
これにより、責任の重大さが抽象的な概念ではなく、身体的な負荷として実感される。
説得とは、論理だけでなく「感じさせること」であり、身体感覚を通じて感情を揺らす言葉は、判断や態度に直接影響を与える。
④ 記憶の定着:身体が記憶を支える
身体的な比喩は、脳内に具体的なイメージを描きやすく、「実体験に近い記憶」として残る。
たとえば「心に響く言葉」「胸に刻む約束」といった表現は、CONTACT(接触)スキーマを通じて、感情と身体の接点を描き出す。
このような言葉は、抽象的なメッセージを“触れた感覚”として記憶に残し、時間が経っても呼び戻されやすくなる。
記憶に残る言葉は、行動を生む言葉である。
説得とは、瞬間的な理解ではなく、記憶に残る構造を持つことで、後の意思決定に影響を与えるプロセスでもある。
こうしたメカニズムは、神経科学の知見によっても裏付けられている。
身体メタファーを処理する際、脳の運動皮質や感覚皮質が実際に活性化することが確認されており、言語理解が身体に根ざしたプロセスであることが明らかになっている。
イメージスキーマは、言葉を「身体に響かせる技術」である。説得とは、情報を伝えることではなく、身体を通じて意味を感じさせること。
コミュニケーションが本質的に身体的な営みである以上、イメージスキーマの理解は、より深く、より動かす言葉を生み出すための不可欠な鍵となる。
8.応用編——イメージスキーマの実践的な活用
8-1.メージスキーマの応用ジャンル
イメージスキーマは、人間の身体的経験に根ざした認知構造であり、言語や思考の深層に広く関与している。
そのため、広告表現に限らず、教育、心理療法、UXデザインなど、さまざまな分野で応用されている。
たとえば言語教育では、英語の前置詞の理解にイメージスキーマが活用されることがある。「in」「out」「through」などの語は、空間や移動の身体感覚に基づいており、抽象的な意味を身体的な経験に結びつけることで、学習者の理解を助けている。
心理療法やコーチングの分野では、クライアントの語りに含まれるスキーマ的な構造を読み取ることで、思考パターンや感情の位置づけを把握し、変化を促す支援が可能になる。
たとえば「壁にぶつかる」「殻に閉じこもる」といった表現には、力や境界といったスキーマが反映されている。
UX/UIデザインや情報設計の領域でも、イメージスキーマは重要な役割を果たしている。
ユーザーが直感的に操作できるインターフェースには、身体感覚に基づく構造が潜んでいる。
たとえば「ゴミ箱」アイコンは“除去”のスキーマに基づいており、階層的なナビゲーションには“部分―全体”のスキーマが働く。
こうした設計により、ユーザーは新しいシステムでも、すでに身についている身体感覚から直感的に理解できる。
広告やコピーライティングにおいても、イメージスキーマは人々の感覚に訴える表現の核となっている。
製品やサービスの価値を、空間・移動・接触などの身体的構造に置き換えることで、短い言葉でも深い印象を与えることができる。
このように、イメージスキーマは多分野にわたって応用されており、抽象的な概念を身体的な感覚に結びつけることで、理解・共感・行動を促す力を持っている。
8-2.コーチング・心理療法の応用例
イメージスキーマは、クライアントの語りに含まれる言語的・非言語的な構造を読み解く手がかりとして、コーチングや心理療法の現場で活用されている。
数ある心理療法のなかでも、クライアント自身の言葉を丁寧に扱うアプローチにおいては、イメージスキーマの理解が内的世界の構造を捉える手がかりとなり、変化の支援に直結する。
人は無意識のうちに、空間的・身体的な感覚を言葉に織り込んでいる。たとえば「自分はいつも後ろにいる」と語る人は、前後スキーマを通じて劣位感や停滞感を表現している。
「心に壁がある」という表現には、接触スキーマが働いており、防衛や遮断の感覚が含まれている。
「気分が沈む」という語りには、上下スキーマが反映されており、抑うつ傾向やエネルギーの低下が示唆される。
こうした言語表現をスキーマ的に読み解くことで、クライアントの思考のクセや感情の位置づけを空間的・構造的に把握することができる。
それは単なる言葉の分析ではなく、クライアントの内的世界を身体感覚に基づいて理解する試みであり、変化の糸口を見つけるための有効な手段となる。
イメージスキーマは、目に見えない心の動きを「構造」として捉えるためのレンズである。
語りの中に潜む空間的なパターンを見抜くことで、支援者はより深く、より精緻に、クライアントの世界に寄り添うことが可能になる。
8-3.広告コピーの応用例
広告コピーは、短い言葉で人の感覚に訴え、印象を残し、行動を促すことを目的とした表現である。
その背景には、私たちが無意識に共有しているイメージスキーマの構造が潜んでいる。
以下に、代表的なスキーマとその活用例を紹介する。
- 経路スキーマ(SOURCE–PATH–GOAL)
- 目標に向かって進むという身体経験に根ざす。
- 例:「夢に向かって走り出そう」「未来へ踏み出す第一歩」(→行動喚起や未来志向のメッセージに効果的。)
- 障害スキーマ(FORCE / BLOCKAGE)
- 立ちはだかるものに力を加えて乗り越える感覚に基づく。
- 例:「壁を越えろ」「限界を突破する」(→挑戦・克服・変化の物語を喚起する。)
- 立ちはだかるものに力を加えて乗り越える感覚に基づく。
- 容器スキーマ(CONTAINER)
- 内と外、満ちる・空になるという感覚に根ざす。
- 例:「心に満ちるひととき」「安心をあなたの中へ」(→抽象的な安心や充足を直感的に伝える。)
- 内と外、満ちる・空になるという感覚に根ざす。
- 上下スキーマ(UP–DOWN)
- 上昇=ポジティブ、下降=ネガティブという感覚に基づく。
- 例:「気分を上げよう」「高みを目指す力」(→ 感情の高揚や意欲の喚起に有効。)
- 上昇=ポジティブ、下降=ネガティブという感覚に基づく。
- 前後スキーマ(FRONT–BACK)
- 未来=前方、過去=後方という時間感覚に根ざす。
- 例:「未来をひらく」「過去を振り返る味わい」(→希望やノスタルジーを端的に表現できる。)
- 未来=前方、過去=後方という時間感覚に根ざす。
8-4.身体感覚から広がる認知の地図
イメージスキーマは、私たちが世界をどう捉え、どう語り、どう動くかを支える認知の土台である。
空間や力、接触や移動といった身体的経験は、言語や思考の深層に構造として刻まれ、教育・心理支援・デザイン・広告といった多様な分野で活用されている。
教育では、抽象的な言語概念を身体感覚に結びつけることで理解を促し、心理支援では、語りの中に潜む構造を読み解くことで内的世界へのアクセスを可能にする。
デザイン領域では、ユーザーの直感に寄り添う設計を支え、広告コピーでは、数語の表現に深い共感と行動喚起を宿らせる。
こうした応用は、イメージスキーマが単なる理論ではなく、人間の認知と表現の「しくみ」として機能していることを示している。
身体と意味の接点にあるこの構造を理解することは、より深く人を動かす言葉や体験を設計するための鍵となる。
9.まとめ ― 身体感覚を活かしたコミュニケーションの総括
本稿を通じて見てきたように、イメージスキーマは単なる言語表現の枠を超え、人間の認知・感情・行動を形づくる基盤として機能している。
「身につまされる」「身に覚えがある」「身を尽くす」といった慣用表現に示されるように、私たちの言葉は常に身体を介して意味を持つ。
ここには、人間の思考や理解が身体の感覚・運動経験に根ざすという 身体性認知 の考え方が直接に働いている。
そのため、説得的なコミュニケーションを実現するには、受け手の身体的経験に根ざした言葉を選び取ることが有効である。
これは比喩的な言い回しの工夫ではなく、身体性認知に裏付けられた認知科学的戦略である。
身体に基づく表現は、受け手の記憶に残り、感情を揺さぶり、行動へと橋渡しする。
まさに「コミュニケーションも身体が資本である」という冒頭の命題を裏付ける知見といえよう。
もちろん万能ではない。
文化的背景や状況に応じて表現を調整しなければ、不自然さや誤解を招く恐れもある。
しかし、身体という普遍的基盤を理解し、それに沿った言葉を意識的に選ぶことで、メッセージの力は格段に高まる。
説得は、論理やデータだけでは完結しない。
人は身体をもって世界を理解し、言葉を通して他者と関わる。
だからこそ、身体性認知に裏付けられた言葉は相手の心を動かす。
イメージスキーマを意識した表現選択は、これからのビジネスパーソンにとって、最も実践的で力強いコミュニケーション資源となるだろう。