「傍観者効果」とは緊急事態や犯罪発生時、その場に多く人が居合わせると、救援や通報などの介入を控えて傍観してしまうことをいう。
誰もが「誰か他の人がしてくれるだろう」と責任を分散させてしまうことがその要因らしい。
しかし、実は他にも様々な要因が絡んでおり、責任の分散だけを取り除けば、傍観者効果が解消されるわけではない。
本記事ではその傍観者効果が深刻な被害を招いた海外の事件を一覧で示し、さらに日常の身近なところ、たとえば電車の中などでも傍観者効果が生じることにも触れる。
その上で傍観者効果を引き起こす複合的な要因を1つひとつひも解いていく。
そして、傍観者効果を防ぐのにどんな対策があるのか?
緊急時のとっさの対応策に加え、学校や職場など集団内のいじめやハラスメントなどに対しても“見て見ぬふりをしない”マインドセットの醸成法も解説する。
傍観者効果とは?
傍観者の不作為
「不作為」という言葉がある。
辞書には「あえて積極的な行為をしないこと」とあるが、法的や道徳的に求められる行為を意図的に行わない、あるいは放置することを指す。
例を挙げると以下のような言い方がある。
- 政府の不作為によって、地域のインフラ整備が進まなかった。
- 親の不作為により、子供が適切なケアを受けられなかった。
- 彼の不作為が原因で、事故の被害者は助けを得られなかった。
他にもよくあるのは緊急事態や犯罪発生時の不作為だ。
その場に多く人が居合わせると、救援や通報などの介入を控えて傍観してしまう。
誰もが「誰か他の人がしてくれるだろう」と責任を分散させてしまうことが一因らしい。
そうした不作為を心理学では「傍観者効果」という。
キティ・ジェノヴィーズ殺害事件
この傍観者効果の象徴的な出来事が、1964年にニューヨーク市で起きたキティ・ジェノヴィーズ殺害事件だ。
キティ・ジェノヴィーズという若い女性が仕事からの帰宅途中に暴漢に襲われてしまう。
彼女は大声で叫んで助けを求めたものの、その声を聞いた周囲の住民たちは助けに向かうことも、警察にも通報することもなかった。
窓からようすを見ていた人(=傍観者)もいたらしい。
犯人は一度その場を離れたが、再び戻ってきてさらに攻撃を加え、致命傷を負わる。
最終的に住民の1人が警察に通報するが、その時すでに彼女は亡くなっていたという。
ニューヨーク・タイムズ紙がこの事件を「38人の目撃者が暴行を見て見ぬふりをした」と報道し、社会に大きな衝撃を与える。
後にこの記事にはいくつかの誇張があったと発覚するが、この事件をきっかけに「傍観者効果」が心理学の重要な研究テーマとなった。
傍観者効果を説明する理論や実験が盛んに行われるようになったのだ。
とりわけ、緊急事態における人の行動や社会的責任についての理解が深まる契機となったらしい。
ダーレイとラタネの白煙実験
ここで1つ、傍観者効果にまつわる古典的な実験の例を挙げておこう。
社会心理学者のジョン・ダーレイ(John Darley)とビブ・ラタネ(Bibb Latané)が行っている。
実験では一室で実験参加者たちにアンケートに答えてもらう。
ただし、その部屋は火災を模した白煙が通気口から流れ出るように仕掛けられていた。
そして、室内に白煙が充満し始めたときの反応を実験者たちが観察する。
その実験では以下の2つの条件が設定されていた。
- 単独条件
- 参加者が1人で部屋にいる。
- 複数条件
- 参加者が他の2人と一緒に部屋にいる。※他の2人はサクラ(実験協力者)で、白煙に対して無反応を装う。
すると部屋に1人でいた単独条件では約75%の人が部屋を出て異常を報告したが、無反応を装う2人のサクラがいた複数条件では約12%しか異常を報告しなかったという。
これがまさに傍観者効果の端的な例であり、緊急事態において無反応の人が周囲にいると行動が抑制されることが実験で確かめられたのだ。
傍観者効果の事件一覧
しかし、研究が進んだとはいえ、助けを必要とする場面でも、多くの人が居合わせたために不作為に陥る事態は後を絶たない。
キャサリン・A・サンダーソン著「悪事の心理学 善良な傍観者が悪を生み出す」(2024.2 ディスカヴァー・トゥエンティワン)に書かれていた最近の事例を紹介しておこう。
フロリダ州ココアのティーンエイジャーのグループが池で溺れている男性を発見したが、誰も助けようとはせず、救助を求めることもしなかった。
フロリダ州立大学のある学生は、バーボンを大量に飲んで気を失ったため、ソファーに運ばれた。彼は意識不明の状態で横たわっていたが、フラタニティ(米国の大学をなどに存在する男子学生の社交団体)のメンバーは彼の周りでお酒を飲み、大騒ぎを続けてビリヤードで遊んでいた。翌朝、その学生の死亡が確認された。
ロンドンの混雑したショッピング街で、男性がイスラム教徒の女性の頭からヒジャブ(頭髪を隠すスカーフ)を取ろうとしたとき、たくさんの買い物客がこの攻撃を目撃したが、誰も助けに行こうとはしなかった。
中国で2歳の女児が車にひかれ、少なくとも18人が周囲を歩く中、女児は7分以上も血を流して横たわっていた。
インドネシアで白昼堂々、女性がレイプされた。性的暴行が行われいる間、たくさんの人が通り過ぎたが、暴行を止めようとした人はいなかった。
実は身近な傍観者効果
その場に不特定多数の人が居合わせただけで、これほどの状況でも、人は見て見ぬふりするのだろうか?
それほど人は冷淡になれるのか、にわかには信じがたいかもしれない。
いずれも海外の事例のため、遠い世界で起きていることのように感じるが、実は傍観者効果は日常の身近なところでも見られる。
決してまれな出来事ではないのだ。
たとえば以下のような事象を自分が経験、あるいは間接的に見聞きしたことがある人は少なくないだろう。
電車内での迷惑行為
電車の中で、乗客が周囲の人に迷惑行為をしている場面(痴漢行為や酔っ払いが騒いでいる場合など)でも、周りに多くの人がいると、助けに入ったり、注意をしたりするなどの行動をとろうとしない。
誰もが「他の誰かが対応するだろう」と考え、見て見ぬふりしてしまうのだ。
また、それとは別に「トラブルに巻き込まれるかもしれない」という不安も働くだろう。
街中での転倒事故
人通りの多い場所で誰かが転倒した場合、そこに居合わせた人々が見ているだけで助けに行かないことがある。
特に、自分より近くにいる人が視界に入ると「自分が行かなくても大丈夫だろう」と考えてしまう。
転倒事故に限らず、駅のホームや公園などの公共の場で、誰かが体調不良で倒れている場合でも同様の不作為が引き起こされることもある。
交通事故の目撃
クルマ同士の接触事故や歩行者との事故が発生した場合、事故現場に多数の目撃者がいるにもかかわらず、誰もすぐに警察や救急車を呼ぼうとしない。
これは「他の誰かがすでに助けを求めているかもしれない」と考えてしまうためだ。
学校や職場でのいじめ
学校や職場でいじめが発生していても、多くの生徒や同僚がその状況を見ていながら、誰も介入ししない。
教師や上司に報告をすることもない。
「他の誰かが対処するだろう」「面倒なことに巻き込まれたくない」との考えが先に立つのだ。
さらに「自分が声を上げると自分もターゲットにされるかもしれない」との恐れも加わって、不作為に陥ってしまう。
高齢者や障害者の孤立
高齢者や障害者が困っている場面を見かけても、積極的な声がけをしないことがある。
「どのように声をかければ良いか分からない」「余計なことをして迷惑をかけてしまうのではないか」などの不安から援助行動を控えてしまうのだ。
災害時の避難行動
大規模な災害が発生した際、避難指示が出ても自宅にとどまったり、助けを求めずに孤立してしまうことがある。
その要因として「正常性バイアス(予期せぬ事態を正常と考え心の平静を保つ)」がよく挙がるが、実は傍観者効果が絡むことがある。
近隣の多くの住民が避難していないのを目にすると「自分だけが避難するのは過剰反応かもしれない」「他の人が避難していないから自分も大丈夫だろう」と誤った推定をしてしまうのだ。
傍観者効果の要因
1. 責任の分散
ではなぜ、不特定多数の人が居合わせると人は不作為に陥り、傍観してしまうのか?
その要因として常に挙がるのが「責任の分散」だ。
傍観者効果とほぼセットで語られるといっていい。
周囲に人がいると責任が分散され、自分の責任を小さく感じてしまう。
「他の誰かがやるだろう」と安易に考えてしまうのだ。
しかし、実は傍観者効果は責任の分散だけが要因ではない。
社会心理学の研究者たちは他のいくつかの要因も複雑に絡み合うと分析している。
指摘されている要因をいくつか挙げておこう。
2. 援助にかかるコスト
人を援助するのには想定以上にコストがかかる。
このコストこそ、緊急時に見られる不作為の一義的な要因だろう。
たとえば交通事故や暴力事件の現場などでは、他者を助けようとすると自分が同様の危険に晒(さら)されるリスクがある。
また、援助行動には病院に連れていくなど時間や労力もかかり、自分の予定の中断も余儀なくされる。
援助することで、その後の対応に対する責任を負うこともあるだろう。
法的な手続きに巻き込まれる可能性だってゼロではない。
さらに自分が援助を試みても、うまく助けられないのではないかという不安も生じる。
たとえば、蘇生に役立つAED(自動体外式除細動器)の使用においても、操作は比較的簡単とはいえ、人の心臓にショックを与えることをためらう人もいるだろう。
仮に行動を起こしたとしても、その介入によって状況が改善しないことだって予想される。
徒労に終わるのだ。
もし、そうなれば無力感に苛(さいな)まれることになる。
そしてもう1つ、この後で触れる「評価懸念」も援助することのコストとなる。
他者から「過剰反応している」と見なされるなど、社会的な評価を下げるかもしれないというリスクが伴うのだ。
3. 社会的手抜き
「社会的手抜き(social loafing)」は、個人が集団の一員として行動するとき、自分の努力を怠ってしまう(=手を抜く)現象をいう。
他の人々が同じタスクに取り組んでいるのを見ると、自分の行動など「大海の一滴」にしか思えなくなる。
自分が行動をとらなくてもまずバレないし、まじめにやったところでそのインプットの価値は極めて小さい。
どのみち集団全体の目標は達成されるだろうと踏んでしまうのだ。
災害や緊急事態においても同様である。
自分ひとりぐらい助けに入らなくても事態は大きく変わらないと考えてしまうのだ。
4. 評価懸念
「評価懸念(evaluation apprehension)」とは、他の人々の評価を気にする心理をいう。
人は集団の中で、自分の行動が他者にどう受け止められるかを常に意識している。
その評価が気になって行動を控えることも少なくないのだ。
緊急の際に傍観してしまう心理もここから来る。
人助けに入ることで「恥ずかしい思いをするかもしれない」「間違った判断をしたと見なされるかもしれない」と感じるため、結果的に行動を起こすのを控えてしまうのだ。
災害時に避難指示が出されたときも同様である。
他の人が避難していないと「自分だけが避難するのは大げさだと思われるかもしれない」とやはり不安を感じ、避難するのをためらってしまう。
5. 状況の不確実性
緊急事態ではしばしば何が起きているのかを正確に把握するのが難しい。
たとえば、誰かが倒れているのを見たとき、それが「本当に危険な状況なのか」「ただ横たわっているだけなのか」「自分が介入する必要があるのか」が明確でない場合がある。
このように、状況がはっきりしないと人は支援行動をためらいがちとなる。
交通事故を目撃した際も同様だ。
事故の規模や被害の程度がすぐに分からない。
他のドライバーや通行人が助けに行っていないのを見ると、「それほど深刻な事故ではないのかもしれない」と思い、結果的に不作為に陥ってしまう。
6. 社会的証明
「社会的証明(social proof)」は自分の行動が正しいかどうかを判断するのに他の人々の行動を参考にすることをいう。
普遍的な人の心理傾向の1つで、通常の生活では多くの場合に有益となる。
しかし、緊急時には逆効果になってしまうことがあるのだ。
他者が無反応なようすを見て、「この状況はそれほど深刻ではない」「誰も行動していないのだから、自分も動かなくていい」などと誤った推測をしてしまう。
この傾向は前述した状況が不確実な場合にはいっそう強くなる。
たとえば、学校や職場などでいじめが発生した際、周囲の人々がそれを無視していたとしよう。
すると、そうした振る舞いを見て「これはさほど深刻な問題ではない」「自分が介入する必要はない」と感じ、積極的に介入しようとは思わなくなるのだ。
7. 同調圧力
「同調圧力」とは人が集団内で他の人々と同じ行動を取ろうとする心理的なプレッシャーをいう。
人と異なる行動を取ることに対する不安や恐怖から引き起こされる。
他の人々を真似ようとする社会的証明や周囲の評価を気にする評価懸念とも密接に絡んでいる。
学校や職場など特定の集団内であれば、そこに集団の一体感を維持しようとする心理も加わるだろう。
次第に暗黙のルールが生まれ、社会的証明や評価懸念がいっそう強化され、異端視されることの恐怖が増幅してしまう。
いじめやハラスメントの現場に居合わせたとしても、他の人々が何も行動を起こさないのを見ると、「自分も何もしない方が安全だ」という気持ちになる。
集団に適合することを選んでしまうのだ。
8. 多元的無知
「多元的無知(pluralistic ignorance)」とは、個人が自分の内心では「これは問題だ」と思っているのに、他者がそう感じていないように見えるため、その場の状況に従ってしまう心理をいう。
内面ではジレンマや矛盾を抱えつつもだ。
自分以外の人たちも同様の誤解をしてしまい、集団全体が相互に誤解し合う状態に陥る。
童話の「裸の王様」で、全員が同じように「服が見えない」と思っているのに誰もその事実を指摘しない状況と似ているだろう。
いじめやハラスメントが起きているときにも、この多元的無知が積極的な介入をためらわせてしまう。
全員が「この場では何もしない方が正しいのだ」と信じ込み、暗黙のコンセンサスが形成される。
緊急事態でも同様で、たとえば火災警報が鳴っても誰もが無反応なとき、実はお互いに勘違いし合っている。
安心感さえ覚えてしまうのだ。
以上、傍観者効果の要因を6つほど挙げてきた。
こうした要因は1つが突出するのではなく、複合的に作用し合い、その連鎖が傍観者効果をいっそう強めていく。
傍観する人たちが冷淡な心の持ち主ではないのは明らかだろう。
傍観者効果の克服法
ではどうすれば、傍観者効果を克服し、緊急事態に居合わせた人々から支援行動を引き出すことができるのか?
とっさの不作為を防ぐ代表的な対策を3つほど挙げよう。
支援を必要とする側が一計を講じることで、傍観する第三者から支援行動を引き出すことも可能となる。
1. 個別に助けを求める
「誰か助けて!」と漠然と呼びかけるのではなく、特定の人物に向けて具体的な指示を与えるようにする。
たとえば「青いシャツを着たあなた!救急車を呼んでください」など、特定の個人を指名するのだ。
そうすることで「責任の分散」が軽減され、対象者は自分が行動すべきだと感じやすくなる。
2. 緊急性を強調する
緊急事態では状況が不確実なことも多く、そのことが傍観者効果を引き起こす一因となる。
そこで状況の重大性や緊急性を明確に説明する。
「本当に危険だ」「今すぐ助けが必要だ」と切迫感をもって訴え、一刻の猶予もないことを強調する。
居合わせた人々に見て見ぬふりをすることの代償の大きさを実感させるのだ。
3. 手軽な行動を促す
行動に移しやすい簡単で具体的な指示を与えることも極めて有効だ。
シチュエーションごとに行動を促す指示の与え方の例を以下に示そう。
事故現場での対応
「誰か助けて」と漠然と言うのではなく、「その水を持ってきてください」「あの車を止めてください」などとすぐに実行可能な行動に分解した上で頼むようにする。
こうした具体的かつシンプルな指示は傍観者が感じる心理的な負担を減らし、行動を起こすきっかけとなる。
心肺蘇生法(CPR)の現場
緊急時に心肺蘇生法を行う場面で、「救急車を呼んでください!」という指示だけではなく、「AEDを持ってきてください」や「胸を押すのを手伝ってください」といった具体的な役割を細かく振り分ける。
火災の初期段階
火災の初期段階では「誰か消火器を取ってきて」と曖昧に頼むのではなく、「消火器があそこにあるから、取ってきてください」というように、行動しやすいピンポイントの指示を出すようにする。
ささやかなことのように思えるが、行動へのハードルは格段に下がる。
災害避難の際の指示
大規模な災害が発生した際に、避難指示を出す側にいたとしよう。
「早く避難してください」と伝えるだけではいけない。
「このルートを使って避難して下さい」などと具体的でわかりやすい指示を出すことで、人々がスムーズに行動に移れるようになる。
傍観者効果によって避難が遅れる可能性はぐっと少なくなるだろう。
“率先避難者” たれ
こうした3つを組み合わせて対策を講じたとしても行動を起こすのはごく一部の人かもしれない。
しかし、それでも十分な効果が期待できる。
社会的証明の作用が働き始めるのだ。
ほんの一握りの人たちが率先して起こす行動が模範となって「助けることが正しい」という認識が生まれる。
評価懸念や多元的無知の解消にも一役買うだろう。
東日本大震災で「釜石の奇跡」と賞賛された防災訓練がまさにその傍証となる。
釜石市では「率先避難者たれ」のスローガンのもと、日頃から避難訓練が徹底され、一人ひとりが自らの行動で命を守るという意識が根付いていた。
そして震災の大惨事においても多くの命が救われている。
「自分が避難しなければならない」という責任感を強く持つ「率先避難者」が存在したために、後に続く人たちが飛躍的に増え、立ちはだかるはずだった傍観者効果の壁を突破できたのだ。
学校や職場の対策とは?
ここまで述べてきた対策の多くは災害や事故のような緊急事態には有効だろう。
では学校や職場でのいじめやハラスメント、不正行為といった状況での傍観者効果はどうだろう?
こうした倫理違反の問題は特定の集団内で起こり、長期間にわたって目に見えにくい形で続くことが多い。
緊急事態に偶然に居合わせた刹那的な集団とは異なり、一体感や所属感といった心理が働く。
見て見ぬふりすることが集団内で常態化してしまうのだ。
暗黙のルールに盲目的に従う「規範化」の域に達することになる。
カギとなるのは未然の防止策や早期発見、被害最小化の対策だろう。
地道な研修や制度づくりによって意識から変えていくことが求められる。
有効と思われる方法をいくつか挙げてみよう。
1. “見て見ぬふりをしない” 研修
いじめやハラスメント、不正行為などに対し、「見て見ぬふりをしない」ことを啓発する研修を行う。
まず大事なのは「見て見ぬふりをする」ことの代償の大きさを研修を通して認識させることである。
具体的な事例を提示し、被害者の人生に与える影響の深刻さを身を持って知ってもらう。
さらにロールプレイなどを通じて、被害者や加害者に適切な対応を取ることを疑似体験してもらう。
勇気を出して声を上げた人や問題解決に貢献した人をロールモデルとして紹介するのもよい。
こうした研修でキーワードとなるのが「アクティブ・バイスタンダー(行動する傍観者)」だ。
バイスタンダーは傍観者と訳されることが多いが、本来は「by(そばに)+ stander(立つ人)」で「居合わせた人」がその語義となる。
この「居合わせた人」の意味で、医療現場で盛んに使われてきた。
救急現場に偶然に居合わせ、応急処置や救急搬送に積極的に協力する人を指す。
そこから転じて、アクティブ・バイスタンダーはいじめやハラスメント、不正行為などを目の当たりにしたときに、積極的な介入を率先して行う人をいう。
“見て見ぬふりをしない”研修は このアクティブ・バイスタンダーを組織内に増やす一翼を担っているといえる。
「アクティブ」には “率先して関わる”の意味が込められている。
2. 安全な通報手段の整備
研修だけではない。組織内の制度設計もカギとなる。
その1つが匿名通報システムや第三者通報窓口を整備し、周知を行うことだ。
職場や学校では、倫理違反行為を見つけても「報告することで自分に不利益があるかもしれない」「同調圧力に逆らうのが怖い」と感じ、黙認してしまうことも多い。
こうした黙認を無くすには、匿名で安全に通報できる仕組みや通報者が報復を受けないための保護制度をしっかりと設けることが求められる。
いつでも通報できるしくみがあると知るだけでも個々のメンバーの意識が変わるだろう。
声を上げやすくなり、傍観者効果の打破につながるはずだ。
3. 管理職や教師の模範行動
職場や学校では管理職や教師が率先して行動を起こすことも効果的だ。
指導的立場にある人がアクティブ・バイスタンダーの役割を担うのである。
問題を見過ごさずに速やかに介入行動を起こすことで、ここまで触れてきた責任の分散、社会的手抜き、社会的証明、評価懸念、多元的無知など傍観者効果を生む要因を取り除き、同調圧力を行動を起こす方へ反転させるのだ。
他の従業員や生徒も追随しやすくなるだろう。
管理職や教師から定期的に「私たちは見て見ぬふりをしない」と明確にメッセージを発信するのも有効だろう。
時間はかかるだろうが、支援行動を促す組織文化が徐々に醸成されていくはずだ。
4. 仲間やチームとしてのサポート
倫理違反的な行為を目撃した際には、他の仲間や同僚と速やかに共有し、「共に行動する」という雰囲気を作っておくことも有効だろう。
前述した“見て見ぬふりをしない” 研修などを通して、そうしたチームアプローチが奨励されていることを周知させておくのだ。
1人で立ち向かう必要がないという意識が積極的な介入を後押しすることになる。
5. 明確な規範とルールの設定
倫理違反に対する厳格なルールを組織全体で明確にすることも改めて大事だろう。
違反行為に対しては、罰則を課すなどの処置がとられることを周知徹底するのだ。
明確なルールのもと「いじめや不正は許されない」という意識を集団内に根付かせておく。
線引きがはっきりしていれば「これは明らかに介入が必要だ」という判断もしやすくなる。
状況判断の曖昧さから傍観者効果が引き起こされることも防げるはずだ。
道徳的反逆者を育てる
傍観者効果の克服に向けた研修や制度づくり、組織文化への働きがけは「道徳的反逆者(moral rebels)」の育成に通じるものがあるだろう。
道徳的反逆者とは状況や社会的な圧力に左右されず、自分の倫理的信念に基づいて行動する人のことをいう。
心理学領域の研究を通じて発展した概念らしい。
道徳的反逆者は集団の中で他の人が傍観しているときでも、自発的に行動を起こすことができる。
あくまで自分の中の倫理的な判断が行動基準となるため、同調圧力に安易に屈したりしないのだ。
その迅速な初動が周囲の人たちを覚醒させ、「自分も行動していいのだ」という認識が広がるきっかけとなる。
そこから行動の連鎖が生まれ、傍観者効果を打破する大きな力となるのだ。
こうした道徳的反逆者を組織内に1人でも多く増やすための教育プログラムが既に開発されており、企業や教育機関で導入が始まっている。
状況ごとのケーススタディや実践的なロールプレイを通して、倫理的な観点からの状況判断能力や意思決定のスキルを集中的に学ぶのだという。
人は太古の昔から集団生活を営み、互いを尊重し、協調していくことを常に学んできた。
そのために個人の意見や行動が抑制されることも多々ある。
傍観者効果はそんな集団の中で自然と身についた一種の防衛反応なのだろう。
しかし、それでも人は知恵を絞り、その克服に取り組んでいる。
「最大多数の最大幸福」を達成すべく、人は共感性や協力性をひたすら発揮しながら生きてきたののも事実だ。
克服の歩みがとまることはないだろう。
「今どき傍観者効果による犠牲など見聞きしなくなった」という日は、そう遠い将来のことではないかもしれない。