いわゆる年収の壁、いわゆるデジタル赤字。
「いわゆる」は、人の話し言葉や書き言葉、あるいはニュースの報道などでもよく耳にする言葉の1つだ。
「一般にそう呼ばれている」といった意味を持つ。
話し手と聞き手との間に、今話題にしているのは「それ系のこと」という共通認識を生むため、よりコミュニケ―ションが円滑になる。
ところが、この「いわゆる」を連発し、もはや“使いすぎの域”に達している人はけっこういる。
単なる口癖だと思えばがまんできなくもないが、ちょっと鼻についてしまう。
何がよくて人は「いわゆる」を使いすぎてしまうのか?
連発されるとなぜ、イラッときてしまうのか?
一定の説得効果を持つはずが、ときに逆効果となる危うさをはらむ言葉「いわゆる」。
何気ない言葉に潜むコミュニケーションの落とし穴を本記事で丁寧に考察してみたい。
いわゆるの意味とは?
「いわゆる」は日本語の中でもきわめてよく使われる言葉の1つ。
書き言葉にも話し言葉にも登場する。
「世間で言われている」とか「一般にそう呼ばれている」という意味を持つ。
したがって、何かを説明する際に「いわゆる」を添えると、その内容が「一般的に知られていることですよ」というニュアンスになるのだ。
最近のネットニュース(2024年6月時点)でみつけた「いわゆる」とセットで使われたフレーズをいくつか挙げてみよう。
- いわゆる「年収の壁」
- いわゆる「白タク」
- いわゆる「海賊版」
- いわゆる「ゾンビ企業」
- いわゆる「いわゆるデジタル赤字」
- いわゆる「地政学リスク」
- いわゆる「霊感商法」
- いわゆる「ダイバーシティー&インクルージョン」
- いわゆる「貧困の連鎖」
- いわゆる「産後パパ育休」
あえて難しいものも含めたが、「いわゆる」の後に続く、言葉や概念が一般的に知られたことと感じるかどうかにはやはり個人差があるだろう。
「いわゆる」を別の言葉で言い換えるとすれば、主たるものは以下の3つとなる。
- 俗に言う
- 一般的に使われている言い方や、広く知られている呼び名で表現する。
- 具体的に言えば
- より具体的な言葉や表現に置き換える。
- 要するに
- 言い換えると、つまり。
ふと「いわゆる」の使い方に迷ったら、この3つのいずれかに置き換えても不自然でないかどうかを自問してみるのもいい。
「いわゆる」の使い方は基本はシンプルで、何かの名詞の前にもってきて、その名詞の修飾語として使う。
ここでは文の形で「いわゆる」を使った例をいくつか示してみよう。
- 「彼はいわゆる成功者だ。」 (彼は一般的に成功者として知られている。)
- 「いわゆる少子化問題が深刻化している。」 (出生率の低下による人口問題が深刻化している。)
- 「これはいわゆる、実質的な値上げということでしょうか。」 (これは、実際には価格が上昇しているということですか。)
ちなみに「いわゆる」の品詞は名詞を修飾する役割を担う連体詞で、「この」「大きな」「あらゆる」といった言葉と同じ仲間となる。
英語では「what is called」「as we say」「what we call」「so-called」などがあたる。
漢字では「所謂」と書くが、ひらがなで表記されることが圧倒的に多い。
「いわゆる」の説得効果
書き言葉にせよ、話し言葉にせよ、「いわゆる」を添えることでちょっとした説得効果も生まれる。
ただし、後で詳しく触れるが、実はこの説得効果が「いわゆる」を使い過ぎる人や口癖とする人の量産を招くことにも留意されたい。
その説得効果とは以下の3つに集約されるだろう。
1. 共通認識の形成
「いわゆる」を使うことで、話し手と聞き手の間に共通認識が築きやすくなる。
「あっ、それ系のことを言っているんだ」との認識が聞き手に生まれるのだ。
自分は話し手と同じ土俵に立っているという感覚は話し手の主張を受け入れる素地になるだろう。
2.信頼性の向上
「いわゆる」を言葉や概念に添えることで、話し手が一般的な認識や常識に基づいて話しているとのアピールになる。
聞き手は、話し手が信頼できる情報源であるとの認識に至り、発信された情報を受け入れやすくもなるだろう。
3.複雑さの簡略化
本来な複雑な概念を「いわゆる」を使って世の中化された、覚えのいい言葉に置き換わることで、聞き手は格段に理解しやすくなる。
受けとめる情報量が抑えられるため、聞き手の認知的負荷が軽減されるのだ。
スッと入ってくる感覚といっていい。
「いわゆる」が醸し出すニュアンス
1つ例を挙げてみよう。
単に「あの会社はブラック企業だ。」という場合と「あの会社は、いわゆるブラック企業だ。」という場合ではどんなニュアンスの違いがあるだろうか?
■単に「ブラック企業」という場合
話し手がその言葉を自分の主観や判断で使っているように感じられる。
この場合、聞き手はその言葉が具体的にどのような企業を指しているのか、聞き手自身が持つ背景的な知識に頼って解釈することになる。
■「いわゆるブラック企業」という場合
話し手がその言葉を一般的な認識や広く共有されている意味に基づいて使っていることが強調される。
これにより、聞き手はその言葉が一般にどう理解されているか、つまり「過酷な労働条件や労働者の権利が侵害されている企業を指している」という共通認識に基づいて理解することになる。
「いわゆる」をつけるか否かで、その後に続く言葉のニュアンスに大きな違いが生まれるのだ。
一般的な定義も基づいているという客観性、そして話し手と聞き手との間に共通基盤があるという認識。
自分が話し手になるなら、「いわゆる」をタイミングよく適切に使い、説得効果を高める一助としたいところだ。
「いわゆる」が口癖 使いすぎ問題とは?
しかし、一方で、「いわゆる」にはこうした説得効果があることから、つい使い過ぎてしまう人が出てきてしまうのも事実だ。
「いわゆる」が口癖になってしまうのである。
たとえば、日経BOOKプラスの2021年1月1日の記事にはこんなくだりがある。
「イラッとさせない話し方」という本の「はじめに」の一節だ。
昼の情報系テレビ番組の司会者の宮根誠司さんは番組中「いわゆる」を連発することで知られる。
「これって春川さん、いわゆるウォーキングやジョギングは、いわゆる、自粛対象に含まれないとの発言でしたが、一方で、いわゆる、犬の散歩程度なら、ま、いわゆる、大丈夫ということですかね、五郎さん?」
たしかにここまで「いわゆる」を連発されると聞き手はイラッと来るかもしれない。
司会者の宮根誠司さんの場合、トークにリズムをつくるという一種のテクニックだろうし、極端な例と考えたほうがいい。
しかし、「いわゆる」をよく使う人をまわりに見つけるのはそう難しくないだろう。
たとえば専門家の講演を聞いていても、「いわゆる」を使う頻度が高く、なんとなく鼻についてしまったという経験を持つ人は少ないなずだ。
また、報道記事やニュース番組でも、「いわゆる」に続く、(分かりやすいはずの)言葉がピンとこなかったということもある。
ニュースの伝え手が読者や視聴者に気を使って、世の中的により通りのいい言葉に置き換えてくれたはずなのに、釈然としない。
モヤモヤが残ってしまうのだ。
なぜ、イラッとするのか?
なぜ話し手は「いわゆる」を多用するのだろう?
それは前述の説得効果の裏返しで、相手にわかりやすく伝えてこちらの主張を快く受けとめてもらたいという意図からだろう。
言葉の意味合いが長い説明なしで聞き手に伝わる。
しかも、自分の発言は決して独りよがりではなく、一般的な見解とも一致していることを暗に示し、発言に保険をかけられる。
そう見込んでいるからこそ、つい「いわゆる」を使ってしまうのだ。
ところが聞き手は必ずしも、話し手の思惑通りには受け取らない。
時には気が滅入るような不快感を覚えてしまう。
そう感じてしまう理由は主に以下の5つだろう。
1.単調さの増幅
さきほど引用した司会者の宮根誠司さんの発言例のように、同じ言葉が繰り返されることで、単調に感じられてしまう。
短い間に2~3回連発されることで聞き手は過剰と受け取ってしまう。
「飽き」というやつはせっかちですぐに来てしまう。
2.自信のなさの表れ
「いわゆる」を多用すると、話し手が自分の言葉に自信がないように見えてしまう。
一般的な認識に頼っているように感じ、自分の意見や考えをしっかり持っていない印象を持ってしまうのだ。
3.説明の曖昧さ
話し手が具体的な説明を避けているように感じられる。
急に一般論を持ち出したかと思えば、その後に詳細な説明が続かない。
聞き手は曖昧で説明が不十分だと受けとめてしまう。
4.上から目線
「いわゆる」が繰り返されると、聞き手には上から目線で話しているように聞こえてしまう。
実はこの点が「いわゆる」使い過ぎ問題の一番の致命傷といえる。
あたかも「このぐらいの一般論、当然知ってるよな」と突きつけられるように感じさせてしまうのだ。
「2. 自信のなさの表れ」と組み合わさると、もはや「知ったかぶり」でしかない。
薄っぺらい知識をひけらかしているようにさえ見えてしまうのだ。
5.相互理解の欠如
「いわゆる」に続く名詞は一般的に知られていることが前提となる。
ところが、その一般論に聞き手の理解が追いついていなかったり、その意味合いが聞き手の認識とは微妙にずれていたりする場合もある。
当然ながら聞き手はモヤモヤしてしまい、話し手と距離を感じてしまう。
置いてきぼりを食らった感覚になるのだ。
「いわゆる」の正しい使い方
では、「いわゆる」を正しく使うにはどうすればよいだろう?
ここでいう正しさとは、相手に不快な思いをさせず、本記事の前半で挙げた説得効果だけを引き出すことだ。
そのために心がけるポイントは以下の5つだろう。
1.連続使用を避ける
まずは連発しないこと。
たとえ使い方が間違っていなかったとしても、一度の会話に物理的に何度も登場すると過剰感が出てしまう。
許容の範囲を超えるのはあっという間なのだ。
意識的に「俗にいう」「つまり」「言い換えれば」などの代替表現を用いて過剰感を抑えることを心がけよう。
2.聞き手の理解度に配慮する
「いわゆる」に続く言葉、その概念を聞き手が理解しているか否かを常に目配せしておきたい。
ひょっとすると自分が思っているほど一般的な言葉ではないかもしれない。
「このぐらいのことは当然わかるだろう」などと思い込まず、常に疑う姿勢を保つことだ。
仮に聞き手にとっても聞き覚えのある言葉だったとしよう。
そうだとしても安心してはいけない。
その意味合いが人によって異なる場合もあるからだ。
とりわけ抽象的な言葉、まだ辞書にも載っていないような新しい言葉には世代間や地域間などのギャップはつきものだと肝に銘じておこう。
3.補足説明を加える
必要に応じて補足説明を加えるようにする。
このことを心がけるだけで聞き手をモヤモヤさせる頻度をかなり減らせるだろう、
たとえば、「いわゆるSNS疲れ」といったとしよう。
そこで聞き手を突き放すのではなく、すかさず補足説明を加えるようにする。
たとえば「『いわゆるSNS疲れ』という言葉が近年流行していますが、その背景には、現代社会における情報過多や人間関係の複雑さなどが考えられます。」という形にするのだ。
4.どんな名詞につけるかを決めておく
多くの人が共通認識を持っている名詞であれば、のべつまくなしに「いわゆる」をつけるのでない。
予め付与する言葉のジャンルを心に決めておくのだ。
たとえば以下のジャンルにだけ「いわゆる」をつけるというルールにしておく。
- 新語・流行語
- 新しく生まれた言葉や、一時的に流行している言葉。
- 例:「いわゆるタイパ」「いわゆるジャケ買い」「いわゆる推し活消費」
- 新しく生まれた言葉や、一時的に流行している言葉。
- 専門用語
- 専門的な分野で使われる用語
- 例:「いわゆるフィンテック」「いわゆるグローバルサウス」「いわゆるパリ協定」
- 専門的な分野で使われる用語
- 比喩的表現
- 比喩的に使われる表現や言い回し
- 例:「いわゆるガラスの天井」「いわゆるデジタルデトックス」
- 比喩的に使われる表現や言い回し
- カテゴリー名
- 特定のカテゴリーやジャンルに属するもの
- 例:「いわゆるスーパーフード」「いわゆるエコカー」
- 特定のカテゴリーやジャンルに属するもの
- 社会現象・トレンド
- 話題を集める社会現象やトレンド
- 例:「いわゆるZ世代」「いわゆるソーシャル・グッド」「いわゆる買い物弱者」
- 話題を集める社会現象やトレンド
よきコミュニケーションのために
今回の記事では「いわゆる」の説得効果と使いすぎることの弊害について触れた。
説得効果が増す半面、使い方を間違えると聞き手の反発を招くという危うさもある。
最後に、人が「いわゆる」を使おうとするときに、絡んでくるであろう3つの「認知バイアス(認知のひずみ)」について触れておこう。
「透明性の錯覚」「知識の呪縛」「フォールス・コンセンサス(偽の合意効果)」の3つだ。
- 透明性の錯覚
- 自分にとって自明のことは他者もわかっている、見透かしていると思い込むこと
- 知識の呪縛
- いったん知識を持ってしまうと、その知識を持たない人の立場で物事を捉えにくくなること
- フォールス・コンセンサス(偽の合意効果)
- 自分の意見や考え方はしごく一般的で、周囲の人たちもみなそう思っていると思い込むこと
人が元来、この3つの認知バイアスをもつため、「このぐらいのこと、誰でもわかるはず」と信じて疑わなくなる。
この3つの認知バイアスが「いわゆる」を使おうとするとき、どんな影響を与えるかの例を挙げておこう。
- 透明性の錯覚
- 「『いわゆる』といって別の言葉にわざわざ置き換えたのだ。聞き手にも通じているはず」と思い込む。
- 知識の呪縛
- 「さらに補足の説明をするまでもないだろう。くどくなるし、かえって失礼だ」と思い込む。
- フォールス・コンセンサス(偽の合意効果)
- 「こんな常識的なこと、知らない人はいないだろう」と思い込む。
「いわゆる」を使おうとするとき、これら3つの認知バイアスにとらわれていないか?
それゆえ無自覚のうちに、自分の常識や既知のことを聞き手に押し付けていないか?
ひと呼吸おいて考えるのが何より肝要といえる。
そのことが「いわゆる」を正しく使う一歩となるのだ。