世界最大の動画配信プラットフォーム、ネットフリックスが独占配信する韓国ドラマ「イカゲーム」が空前のヒットなった。
世界90カ国以上で視聴回数ランキング1位を記録したという。
「デスゲーム」を舞台装置として、「富の偏在」という世界的なテーマを扱う。
一方で登場人物たちのつらい境遇や心境も克明に描く。
たとえ韓国に馴染みのない、多様な文化圏の視聴者でも思わず自らの境遇と重ねてしまう。
このボーン・グローバルな作品づくりが、非英語圏の作品であっても世界中でヒットするという異例の快挙につながったようだ。
ネットフリックスが放った空前のヒット
会員数が2億人を超える世界最大の動画配信プラットフォーム、ネットフリックスがまた一つ快挙を成し遂げた。
同社が独占配信する韓国ドラマ「イカゲーム(Squid Game)」の空前のヒットだ。
世界90カ国以上で視聴回数ランキング1位を記録し、配信開始わずか4週間で1億4,200万世帯が視聴したという。
ネットフリックスはオリジナル作品の制作にかねてから力を入れており、年間で1兆7,000億円もの予算を制作費に投じている。
映画賞に数多くノミネートされるなど作品の質の高さも折り紙付きだが、「イカゲーム」のように非英語圏の作品がここまでのヒットするのは異例だという。
同社は近年、各国で会員数を掘り起こそうと現地主導の作品を多く手掛けてきた。
日本でなら芥川賞を受賞した又吉直樹原作の「火花」や俳優の山田孝之主演の「全裸監督」がその例だ。
それらの現地作品が他の言語圏で人気を呼ぶことも少なくなかったが、「イカゲーム」のように世界中のヒットチャートを席捲することは今までなかった。
早くからハリウッド制作の英語作品一辺倒から脱却し、世界中に投網をかけて制作陣を発掘し、その作品を世界に配信してきたネットフリックス。
その同社でさえ、非英語作品のグローバルヒットは「イカゲーム」の登場まで待つしかなかった。
同社は約30もの言語で字幕や吹き替えに対応するが、それでもやはり超えられない壁があったのだ。
ネットフリックス以外の作品でも状況はそう変わらない。
世界をまたにかけるコンテンツとなればやはり英語作品の優勢が続く。
たとえば、2018年に是枝裕和監督の「万引き家族」がカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞したが、いくら受賞で拍が付いたとはいえ、海外で日本映画を観る層はそれなりのリテラシーを持った人に限られるであろう。
テーマの普遍性、“ボーン・グローバル” な作品づくり
ではなぜ、韓国ドラマの「イカゲーム」は90カ国以上の国々でヒットチャートを駆け上がれたのか?
まず「イカゲーム」の配信開始が絶妙なタイミングだったことがある。
韓国のエンターテイメント・コンテンツの存在感が高まっていたのだ。
「BTS(防弾少年団)」に代表されるK-POPグループへの世界的な評価。
そこに韓国映画「パラサイト 半地下の家族」のアカデミー賞の受賞。
さらには北朝鮮の将校と韓国の財閥令嬢の恋愛を描いた「愛の不時着」が世界中で社会現象にもなる。
「韓国のコンテンツなら見てみたい」という期待感が広がっていたのだ。
そして、「イカゲーム」が「ボーン・グローバル(生まれたときから既にグローバル)」な作品として制作されていたことも大きい。
言語や文化の異なる人々が一様に楽しめる「最大公約数」を徹底的に追求したのだ。
韓国が舞台とはいえ、そのコンセプトやテーマ、登場人物の設定など何もかもが世界仕様だったのである。
「イカゲーム」は465名もの老若男女が命がけで賞金を争うデスゲームを描いた全9話のドラマ。
このデスゲームのコンセプトは映画やドラマでは既に定着しており、文化圏を超えて受け入れやすいものだろう。
日本でも「賭博黙示録 カイジ」や「バトル・ロワイヤル」などの作品がある。
折り重なるいくつもの二項対立
また、「イカゲーム」では何らかの事情から大金を必要とする生活困窮者や社会的弱者が競い合う。
全てのゲームに勝利すれば456億ウォン(約44億円)もの賞金が得られるが、失敗すればその場で容赦なく射殺される。
そのため、ゲームの敗者たちが次々に射殺される凄惨なシーンがのっけから続くことになる。
一方で、その模様を観戦して楽しむ者たちがいるのだ。
この残虐なゲームは実は、富裕層の娯楽の一環で開催されたプライベート・イベントだったのである。
金に困って命がけで競い合う人たちとその死闘の観戦を楽しむ富豪たち。
さらにゲームの「勝ち負け」は「生と死」に直結する。
その対立の図式は極めて単純明快で、どんな文化圏の視聴者にとってもわかりやすい。
さらに、同作品をとっつきやすくしているのが、6日間にわたって繰り広げられる計6種のゲームである。
「だるまさんが転んだ」、針でカルメ焼きの型を抜く「型抜き」、「綱引き」、「ビー玉」、「飛び石ゲーム」。
いずれも子どもの遊びであり、視覚的にもわかりやすくどんな文化圏の視聴者でもルールの察しがつくだろう。
既存のデスゲーム作品では複雑なルール設定のもと、その頭脳戦が見せ場の一つとなっているのとは対照的だ。
ちなみに最後の6つ目のゲームは作品のタイトルにもなっている「イカゲーム」だ。
攻撃と守備に分かれて争う陣地取り合戦の一種だが、地面に丸や三角、四角の図形を描いて競い合う。
その形がイカに似ていることから、その名がついたらしい。
デスゲームは離島の運動場のようなところで開催され、参加者たちは緑色のジャージ、主催者側はピンクの防護服を着ている。
緑とピンクの色合いは妙にポップで懐かしさも漂い、さながら体育祭を思わせる光景だ。
一見すると大人たちが童心に返って遊んでいるようにも見えるが、その無邪気さは後に続く残虐さの前触れでしかない。
一瞬にして血や銃弾の飛び散るシーンで切り裂かれてしまうのだ。
極端な貧富の差、無邪気さと残虐さ、生と死。そして緑とピンク。
「イカゲーム」のストーリーはいくつもの二項対立の積み重ねで綴られていく。
この分かりやすさとインパクトが国境を超えて人々を惹きつけた要因だろう。
多彩な登場人物が感情移入を誘う
ここまではデスゲームという舞台装置の話だが、おそらくこのデスゲームだけなら、ハラハラはさせられるものの、視聴者は「観客」としての立ち位置で見ていられるだろう。
しかし、「イカゲーム」では視聴者をもっとドラマの中に引きずり込む装置も用意されていたのだ。
それが人となりや境遇が丁寧に描かれる登場人物(キャラクター)たちである。
主だった登場人物には最高学府のソウル大学を卒業しながら、横領の容疑で指名手配されている元エリート証券マン。
父親から虐待を受け、その父親を殺害した罪で服役していた刑務所出所者。
他にも家族と一緒に暮らすために大金を必要とする脱北者や悪徳経営者の搾取に苦しむ外国人労働者などがいる。
いずれも抜き差しならない事情から自分たちの固い意志で、一発逆転のゲームに参加を決めた者たちだ。
おそらく韓国に限らず、どんな国にもこんな人たちはいるだろう。
社会の底辺で蔑(さげす)まれていた人たちかもしれない。
しかし、ドラマを見ていくうちに視聴者は気づくのだ。
どの人物もたまたま穴に落ちてしまっただけであり、根はごく普通の善良な人たちなのだと。
そこにはドラマであることを忘れるほどのリアリティがあり、一歩間違えば映像を飛び越えて自分にも振りかかってきそうな危うさがある。
映像の中の登場人物たちは明日のわが身かもしれない。
ドラマが引き起こす怒りの感情
そして、並み居る登場人物の中で最もフォーカスがあたるのが、老いた母親と暮らす貧しい中年男。
このドラマの主人公だ。
勤務先から不当解雇され失業中の身であるが、根っからのギャンブル好きで多額の借金を抱えてもなおやめられず、母親の貯金にまで手を出してしまう。
もはや人生は再起不能にも見えるが、それでも多くの視聴者はそんな彼を見捨てないだろう。
その境遇には十分に同情の余地があり、何より彼は心根がやさしい。
「今日の味方は明日の敵」かもしれない状況で、同じゲームに参加する者たちを思いやることを忘れない。
実はこのうだつの上がらない男が、やがてデスゲームを支配する黒幕と対峙することになるが、視聴者は彼を心から応援せずにはいられなくなる。
このドラマが引き起こす静かな怒りの感情がそうさせるのである。
デスゲームのドラマと思いきや、そこには富の偏在が加速する現代社会の縮図のような世界が広がる。
そこで起きている不平等や不条理、閉塞感は、まさに自分たちが現実の世界で経験していることではないか?
あまりにも理不尽だ。
そう気づいたとき、デスゲームを主催する支配者たちに憤りを覚えてしまう。
懲罰感情も混ざり合い、奮戦する中年男の主人公に無条件で肩入れしたくなる。
こうした感情こそ、「イカゲーム」を世界にとどろかせたのだ。
世界的に格差が広がる中、言語も文化も異なる人々の最大公約数的なドラマになり得たのである。
いったん感情が呼び覚まされると視聴後の余韻がいっそう深まり、「イカゲーム」の口コミはSNSを介して世界中に駆け巡ることになる。
このドラマはジャージや防護服の色、イカの形や「型抜き」ゲームのカルメ焼きなど、ひと目でわかる記号性にも優れていた。
そのことが口コミを後押しする。
ユーザーが真似し合うことで広がるTikTokのミーム動画は記録的な数に達したという。
ネットフリックスは「イカゲーム」を大々的に宣伝することはなかったが、湧き上がる口コミがそれを補ってあり余る効果を生んだのだ。
「速い(ファスト)思考」が言語と文化の壁を超える
2002年にノーベル経済学賞を受賞し、行動経済学の始祖として名高いダニエル・カーネマン教授によれば、人には直感的・感情的な「速い(ファスト)思考」と論理的・分析的な「遅い(スロー)思考」の2つがあるという。
熟慮を要する「遅い思考」に比べ、「速い思考」は脳への負担が少なく、感情とも呼応するため心地よさが伴う。
そのため、人が好んで使いたがるのは「速い思考」のようだ。
「イカゲーム」はこの「速い思考」で終始見ていられるのである。
1話から9話まで一気見(イッキミ)の衝動に駆られるほどテンポよく進み、どんな言語圏・文化圏の人たちにもみじんも煩わしさを感じさせない。
その分、感情のおもむくままに見ていられる。
それゆえ、視聴者は心理的な隙を突かれ、たまさか怒涛のような感情に全身を占拠されてしまった。
ここに「イカゲーム」の強さの本質がある。
同作品はカーネマン教授のいう「速い思考」が、“ボーン・グローバル” なコンテンツの鍵を握ることを改めて私たちに気づせてくれたのだ。
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