「計画錯誤」(プランニングの誤謬/計画の誤謬)とは何かの計画を立てる際、その遂行に要する時間や予算、労力などを少なく見積もってしまう傾向をいう。
つい楽観的な見通しを立ててしまうのだ。
それによって計画の進行が予定より大幅に遅れて締め切りに間に合わない。
しかも、思わぬ出費がかさみ予算もオーバーしてしまう。
そんな経験は滅多にないという人はむしろ少数派だろう。
これは人の本能に組み込まれた「自分だけはうまくいく」と思い込む「楽観バイアス」に端を発しているのだという。
免れ得ない認知のゆがみの1つだが、実はマーケティングの世界では「買いたい」という衝動を引き起こし、需要をつかんできた側面もある。
今回の記事では心理学者の実験結果なども織り込みながら、「計画錯誤」の傾向と対策を概説し、マーケティングにどう生かすかのヒントを探ってみたい。
計画錯誤とは?
今回の記事では「計画錯誤」を取り上げたい。
「錯誤」という聞き慣れない言葉と相まって、一見難しそうに思えるが、多くの人がごく日常的に経験していることだ。
「計画錯誤」とは何かの計画を立てる際、その遂行に要する時間や予算、労力などを少なく見積もってしまう傾向をいう。
甘い見込みを立ててしまうのだ。
たとえば、当初は期限内に余裕で終わると思っていた仕事が、実際には大幅に遅れてしまい、締め切りに間に合いそうにない。
想定外の出費がかさみ予算もオーバーしてしまう。
そんな状況に思い当たる節のある人も少なくないだろう。
遅刻の多い人もこの計画錯誤が原因であることが多い。
本人は約束の時間より早く到着するとさえ踏んでいたのに、蓋を開ければ遅刻してしまったりもする。
いずれも計画時の見込みの甘さが引き起こす。
広辞苑によれば、計画錯誤の「錯誤」はあやまりや間違いのこと。
現実に起こっていることと考えとが一致しないことを意味する。
計画錯誤は英語では「planning fallacy(プランニングファラシー/プランニングの誤謬/計画の誤謬)」という。
この計画と現実のズレを最初にそう呼んだのは、ノーベル賞経済学賞を受賞した認知心理学者のダニエル・カーネマン(と故エイモス・トヴェルスキー)だという。
計画と現実はどの程度ずれるのか?
計画と現実とがどの程度のずれるのかを調べた実験がある。
心理学者のロジャー・ビューラーらは学生たちにあるテーマで論文を書かせる課題を出し、いつまで提出できるかを予測させた(「AI は人間を憎まない」 飛鳥新社)。
予測のシナリオは①ベスト、②スタンダート、③ワーストの3つだ。
50%の確信がある日数(最短の予測/ベストシナリオ)、75%の確信がある日数(中ぐらい予測/スタンダードシナリオ)、99%の確信がある日数(最長の予測/ワーストシナリオ)をそれぞれ答えさせた。
結果は計画錯誤そのものだったという。
予測と実際のレポート提出日には大きな乖離が生じたのだ。
50%の確信がある日数、すなわち最短の日数までに仕上げた学生は全体のわずか12.8%、75%の確信では19.2%。
注目すべきは99%の確信で立てた予測だろう。
最悪の事態が起こることも想定し、かなりの余裕をもたせ、ほぼ確実に仕上げられると見越して予測したワーストシナリオである。
しかし、それでもその期日内に仕上げた学生は44.7%にとどまったという。
人が課題遂行に要する日数をいかに少なく見積もるかの証左だろう。
メガプロジェクトの法則
ここまでは個人レベルの計画錯誤の話しであるが、実は経験を積んだ優秀な人たちが携わるような巨大プロジェクトでも計画錯誤は頻繁に起こるらしい。
たとえば、オーストラリアのシドニーオペラハウスの建設では当初は700万ドル(10億円程度)の予算が組まれていたが、最終的には規模が小さくなったにもかかわらず建設費は1憶200万ドルに膨らんだ。
完成までに要した年数も当初の見積もりよりも10年延びたという。
米国のデンバー国際空港もしかりだ。
当初の見積もりより建設費が20億ドル膨らみ、完成までに16ヵ月長くかかっている。
これは海を越えた国の話しだけではない。
大幅な予算超過といえば、東京五輪も記憶に新しい。
実はこうした建設プロジェクトに関しては「メガプロジェクトの法則」というのがあるそうだ(ウォール・ストリート・ジャーナル 2023.2.27)。
およそ橋やトンネル、オフィスタワー、空港などの巨大プロジェクトは予算超過と完成の遅延は常態化している。
同記事には以下の3つのなんとも切ない数字が報告されている。
- 予算内に収まる割合 47.9%
- 予算内かつ期限が守られる割合 8.5%
- 予算内かつ期限が守られ、想定された利益が出る割合 0.5%
9割以上のプロジェクトが予算や期限のいずれか、または両方が絡む計画錯誤を起こしていることになる。
これ以外にも大規模なITプロジェクトを調べた例もあるが、やはり当初の予算と予定の期間内に完遂したプロジェクトは全体の3割程度にとどまるのだという。
計画錯誤は個人の身近なことから熟達者が関わる大規模プロジェクトに至るまでここかしこで起きている。
もはや人についてまわる悲しい習性といってよいかもしれない。
楽観バイアスが計画錯誤を引き起こす
ではなぜ、計画錯誤はこうも常態化するのだろう?
なぜ、人は半ば慢性的に計画遂行に要する時間や予算を少なく見積もってしまうのだろう?
その大きな理由の1つが「楽観バイアス(楽観主義バイアス/楽観性バイアス)」と言われるものだ。
これは、他人はどうあれ、自分なら「なんとかうまくやれるだろう」と何事も楽観視してしまう傾向をいう。
「ポジティブ幻想」といった言い方もある。
この楽観バイアスが働くため、自分の遂行能力をつい過大評価してしまい、この計画は万事うまく進むと希望的観測が先に立ってしまう。
自分が深く携わるプロジェクトであれば、これからはりきってやり遂げようとしているときに、進行の遅延や予算超過のことなど誰だって想像したくないだろう。
楽観すること自体はあながち悪いことではない。
果敢に行動に移し、チャンスをものにするドライブにもなり得る。
先行きがこれほど不透明な時代、求められる資質の1つだろう。
生存には有利で、悲観的な人に比べて健康で長生きするとの説もある。
しかし、一方で楽観バイアスによって思わぬ落とし穴にはまってしまいかねないのも事実だ。
自身の健康や事件・事故、自然災害など、自分に振りかかるかもしれないリスクを低く見積もってしまい、必要とされる備えを遠のけてしまうのだ。
たとえば、2020年の冬、新型コロナウイルスで世界保健機関(WHO)が緊急事態を宣言した直後、前トランプ大統領のツィートはそのことを象徴している。
彼は「暖かくなったらウイルスは弱り、消え去るだろう」と投稿していた。
その後の米国では感染者数が爆発的に増加することになる。
何らかの計画を立てる際にも、この楽観バイアスが暗躍する。
計画倒れになる可能性を容易に見えなくしてしまうのだ。
すると、不測の事態に備えて時間や予算に十分なバッファーを織り込むといったことにも気が回らなくなってしまう。
さらに類似したケースで過去に計画錯誤から失敗した経験があったとしよう。
本来なら大いに参考にすべきだが、楽観バイアスの毒牙にかかると「それはそれ」「今回はまた別」だと考えてしまい、反省を生かそうとしなくなる。
計画錯誤とマーケティング
実はマーケティングの世界では、こうした計画錯誤が需要をつかんできた側面がある。
スポーツジムや習い事
消費者に希望的観測を抱かせ、甘い見通しを立てさせ、商品やサービスの利用を促すのだ。
スポーツジム、英会話教室や語学教材、通信教育など習い事がその例だろう。
こうしたサービスは契約期間が長いうえ、かかる費用を一括で前払いするケースも少なくない。
おそらく、最初は目にみえる成果を期待して勇んで始めるのだろう。
ところが実際は思うように時間が割けない。
たとえ「オンラインでスキマ時間に自分のペースできる」からと始めていたとしてもだ。
結局、長続きせず挫折することになる。
そうしたサービスの広告では今すぐにスタートすることを称え、そして望ましい未来が待っていることを盛んに強調するのだ。
その過程に様々な障壁があるかもしれないことなどはつゆほども伝えない。
マーケターたちは人の本能に組み込まれた楽観バイアスを増幅する術(すべ)を知っているといえよう。
健康器具や美容機器
高額の健康器具や美容機器しかりである。
買った当初こそ積極果断に取り組みのが常だ。
ほぼ毎日、時間をやりくりして励む覚悟でいる。
しかし、次第に相当な根気と努力が要ることを知り、つい日々の忙しさにかまけて段々と費やす時間が減っていく。
やがてどこかにしまい込んで使わなくなってしまうのはお馴染みの光景だろう。
サブスク疲れ・サブスク貧乏
最近ではサブスクリプション(定額課金)サービスにおいても「サブスク貧乏」「サブスク疲れ」なる言葉も市民権を得ている。
「定額・使い放題」に引かれてあれもこれもと入会しているうちに、サービスを使い切れなかったり出費がかさんだりする人が増えていることが背景にある(日本経済新聞 2022.8.15)。
サブスクリプションといえば、音楽や動画、音楽、電子書籍、ゲームなどの配信サービスが典型となるが、たとえいくら定額使い放題とはいえ、サービスを利用する側の時間は有限なのである。
カードローンやキャッシング
そして、より深刻なのは計画錯誤から、カードローンやクレジットカードのキャッシングなどを安易に利用し過ぎてしまうことだろう。
すぐに返せるからと甘い見通しを立て、気軽にお金を借りてしまう。
広告では親しみやすい有名人を起用し、気軽さをアピールしながら人々に誘いかけてくる。
最近では申し込みから借り入れまでスマートフォン経由で完結できるようになったことも大きい。
お金を借りることへの心理的ハードルがぐっと下がっているのだ。
しかし、実際は金利も高く、相当額の利息負担を強いられる。
そんな状況下で、そこに計画錯誤が加勢すれば、返済能力以上の過度な借り入れをしてしまうことにもなりかねない。
計画錯誤の対策とは?
ではこうした計画錯誤に対し、人々がとれる対策はあるのだろうか?
「イェール大学集中講義『思考の穴』──わかっていても間違える全人類のための思考法」(ダイヤモンド社、2023年)にはいくつかの対策法が披露されている。
タスクを細かく分解
まずは計画を立てる際に遂行課題を細かく分解するのだという。
これは「アンパック(要素分解)」というらしい。
ひとつのタスクをいくつかの小タスクに分けて具体的にイメージすることで、想定以上に時間や費用がかかることに気づきやすくなるのだ。
ちょうど幽体離脱し、一段高いところから自分を客観視する感覚に近いだろう。
たとえば、「ここはけっこう手間がかかる」「相手と何度かやりとりが必要」といったことが思い浮かびやすくなる。
そのため、甘い見積もりを避け、より現実的な計画が立てられるようになるのだ。
しかし、「イェール大学集中講義『思考の穴』」によれば、細かく分解したがゆえに計画錯誤が助長される側面もあるという。
細かな段取りを思い描くことで、事がスムーズに運ぶだろうと錯覚しやすくなるためだ。
これは「処理流暢性」といわれる効果で、いったん頭のなかで作業手順の全容をつかみ、事の流れを思い浮かべてしてしまうと、そこに流暢性(なめらかでよどみないこと)の感覚が生まれる。
そして、実際に実行に移す際にもとんとん拍子に進むだろうと考え、十分な準備を怠ってしまうのだという。
計画遂行の障害を思い描く
そこで頭のなかでシミュレーションする際に、何が計画遂行の障害になるかを優先的に思い描くようにする。
マンパワー不足や資材調達の遅れ、専門知識の欠如、他業務との兼ね合いなど、遂行を妨げ得る障害にできるだけ注意を向けるのだ。
そうすると、そうそう簡単には進まないことを改めて思い知らされる。
「処理流暢性」による錯覚も起きにくくなる。
そのため、時間や予算の見積もりに慎重かつ現実的な見方ができるようになるのだ。
過去の失敗の経験を生かす
また、経験を積んでいる領域であれば、過去に計画錯誤によって失敗した経験を思い出し、新たな計画と意識的に関連づけることも有効だという。
前述したロジャー・ビューラーらの課題レポートの実験では、いったん学生たちに過去の計画錯誤の経験(例:レポート作成が締め切りギリギリになった)を思い出せる。
その上で、その苦い記憶と関連づけながらレポート完成までの日数を予測させたところ、予測と現実の乖離がほぼなくなったという(成城大学「社会心理学の研究と教育」。
バッファーを織り込む
しかし、これらの対策をとって現実的な見通しを立てたとしても、その遂行を妨げる不測の事態は起こり得る。
計画とはまったく無関係な、思いがけない病気や事故、自然災害などが起こる可能性だってゼロではない。
そこで「イェール大学集中講義『思考の穴』」の著者がすすめる究極の対応策が「常に最初の見積もりより50%多い時間を確保する」ことだという。
すなわち、計画を立てる際には例外なく計画錯誤が起こることを前提とし、進行の遅延や不測の事態に備え時間的なバッファーを織り込んでおくのだ。
イェール大学の教授である著者によれば、たとえば、2日もあれば原稿のチェックができると思っていても担当者には3日以内に戻すと伝えるのだという。
このバッファーの確保でたいていのことは乗り切れているらしい。
マーケティングにどう生かすか?
今回の記事では「計画錯誤」と「楽観バイアス」を取り上げた。
「楽観バイアス」は人の本能に組み込まれている資質の1つで、抗うのがなんとも難しい。
まずは人の生得的な楽観バイアスが計画錯誤を容易に引き起こすと認識することが最初の一歩だろう。
そして、遂行しようとするタスクを細かく分解(アンパック/要素分解)し、「やるべきこと」の解像度を上げていく。
また、計画遂行の障害になりそうなことにも意識的に注意を向けるようにする。
心のなかで直感的に描いた楽観的な計画にあえて冷や水を浴びせるのだ。
類似した計画錯誤の経験があるなら、同じ轍(てつ)を踏まないようにその記憶と新たな計画とを照らし合わせてみるのもよい。
そしてなにより、計画を立てる際はバッファーを確保する癖をつけておく。
こうした対策を心がけることで、前述したスポーツジムや習い事を始める際の計画錯誤も一定程度防げるだろう。
より現実的な計画に近づけるようになる。
断念するという選択肢が浮上するかもしれない。
また、語学教室や学習塾、エステティックなどの業種は商取引法の1つである「特定継続的役務提供契約」に該当するのだという。
一定の契約期間や金額を超えると、理由にかかわらず中途解約ができるようになるらしい。
人の悲しい習性である計画錯誤への備えとして用意された制度だといえよう。
また、マーケターは計画錯誤を助長するように広告で甘くささやくだけが仕事ではない。
計画錯誤の度合いを最小限に抑えることで新たなニーズを掘り起こすこともできる。
割引を設けて長期契約に誘導するのが当たり前だったサービスにも、時間単位の支払いや月額契約の選択肢を増やす、あるいは中途解約時の違約金をなくすといったことも考えられるだろう。
また、計画錯誤の性(さが)を補うべく、消費者が積極的に時間のやりくりに努めるようなモチベーションアップもポイントだ。
たとえば、「結果にコミットする」とのキャッチコピーで知られるパーソナルトレーニングの「RIZAP(ライザップ)」がその例だろう。
「RIZAP touch」というアプリを会員に提供し、会員がレッスンに来ていない日であっても、そのアプリを通じて日々の食事やコンディションなどをトレーナーがしっかりフォローするのだという(RIZAP公式サイト)。
その甲斐あって「RIZAP」は、人々が頭では分かっているのに出来ずにいたこと、それを確実に実行に移させることでいわゆる「三日坊主市場」の開拓に成功したのだ(ダイヤモンドオンライン 2018.10.12)。
やっかいな計画錯誤をマーケターは助長する側に回るのか?
あるいは食い止めるほうに回るのか?
どうしたものかと試案は続くことになるが、いずれにせよ、その市場ポテンシャルは小さくはなさそうだ。
- アン・ウーキョン著・花塚恵訳「イェール大学集中講義 思考の穴──わかっていても間違える全人類のための思考法」 (ダイヤモンド社、2023年)
- トム・チヴァース著・樋口武志訳「AI は人間を憎まない」(飛鳥新社、2021年)
- 「巨大プロジェクトの失敗率99% 成功の鍵はレゴに『メガプロジェクト』を長年研究してきた経済学者がアドバイス」 2020年10月28日 ウォール・ストリート・ジャーナル
- 「トランプ氏のツイッターを分析<2>新型コロナをどう見たか」 2020年10月28日 読売新聞オンライン
- 「社会心理学の研究と教育—『計画錯誤』を題材として」 成城大学公式サイト (参照日2023年11月04日)
- 「『サブスク疲れ』で進む選別 ユーザー数ピークの3割減」 2022年08月15日 日本経済新聞 Data Finder
- 「RIZAPが切り開く「三日坊主」にならないブルー・オーシャン」 2018年10月12日 ダイヤモンドオンライン